(四)


京に上ってから、巴は日記を付け出した。
ひとつは任務のため、もうひとつは自分の気持ちを見つめなおすためであった。
だがしかし、巴は御庭番衆のことや、蒼紫のことについては何ひとつ書かなかった。
いつかこの日記を、抜刀斎が見るかも知れない・・・・・そう思った巴は、書くのをやめたのであった。
緋村という男は、話にあるとおり、少年と言ったほうがいい剣客で、巴はすぐに彼に慣れた。
―――子供。
抜刀斎について、巴が思ったことはそれであった。
まだ、何者についても、よくわからずに剣を振るっている少年。
このような少年に清里は殺されたのだ。
そう思うと、巴にはすべてが取り返しのつかないことに思われた。
桂小五郎の提案するままに、大津の山里に身を隠した巴は、抜刀斎と本物の夫婦になった。
―――さようなら、私の愛した二人目のあなた・・・・・・・・・・・・・。
巴の心に、しずかに雪は降り積もっている。
あの方は私を愛さなかった。どんなに私が愛していても―――あの四乃森蒼紫という人は。
清里も、抜刀斎も私の体を抱いたのに――――。
そう、私はそれを知っている・・・・・それは愛ではないと。
それは愛ではない、ともう一人の私が私に諭している。
巴は今、静かに雪を踏んで、闇の武のアジトに向かっていた。
追ってくるだろうか―――あの緋村抜刀斎は。
人を斬るにそぐわないやさしさを秘めたあの剣客は―――。
私は、と巴は思った。
手近なやさしさに身をひたしてしまいました。敵なのに、私を守ると言ってくれました。
そのやさしさに私は今、殉じたい・・・・・・・・・・・・・。

それから月日は流れた。
蒼紫は観柳の屋敷にひそんでいた。
あの女―――雪代巴が抜刀斎の妻に納まった、という話を聞いた時、蒼紫の心にあったのは失望の念であった。
女とは、そうしたものなのか。
夫婦となり、三ヶ月は一緒に暮らしていたという。
自分の婚約者を斬った男と―――確かに雪代巴は、婚約者の清里をこころよく思っていないことを、あの時自分に告白していた。
しかし、と蒼紫は思うのだった。
それでも自分の婚約者ではないか。
自分はあの時、抜刀斎の寝首をかくこともできるだろう、との含みをもたせてあの懐剣を与えたのだった。
巴はそんなことをする由もなく、三ヶ月以上も抜刀斎と平安のうちに暮らしていたという。
蒼紫はそれを思うと、自分の思いを汚されたような気がするのだった。
そして、だからこそ、あの緋村抜刀斎を自分は許すことができない、と思った。
雪代巴のことはそのきっかけに過ぎない。
何人の幕府方の人間をあの男は簡単に切り捨てたことか。
―――来るがよい。
自分は一度だけ幕末に抜刀斎と戦ったことがあった。
その時は抜刀斎に敗れた。
今回もまた敗れるかも知れぬ。しかし、俺はあの男と戦ってみたいのだ。

そしてまた月日は流れ・・・・・・。

「これ、薫さんがほしいって言った日記だよね、巴さんの。」
操は巴の古びた日記をかかえて叫んでいる。
「ああ。」
とだけ、蒼紫は答えた。
操に言うべき言葉は見つからなかった。
自分の思いを裏切った女の日記だ、とはいかな蒼紫といえども言えるセリフではない。
これから東京まで操とともに旅をする・・・・・。
あの頃の自分では思いもよらなかった出来事だった。
今は許されて、操のそばにいる。
いつもおまえのことを思っていたよ。
けしてそれは言葉にしてしまえるのではなく。

―――操、おまえは俺の母のように・・・・・・・・・・・・・・。

蒼紫は思った。
それを自分は操に告げなくてもいいのだ。
なんと長い道のりであったのだろう。
操は何も知らず、ただ無心に自分の名を叫んでいる。
「蒼紫さまーっ、はやくーっ。」
その姿を蒼紫は胸に刻み付けた。
ずっとおまえのことを祈っていたよ・・・・・。おまえが俺を知らないうちから・・・・・・・・・・・・・。

この幸せを壊したくない。

そう、だから巴も抜刀斎との平穏な日々を選んだのだ―――俺はそれを責めることはできない、今は・・・・・・・・・・・。

蒼紫は操を追って、寺の階段をゆっくりと下りていった。



―御影華・完―

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