(三)

―――操。
その光景は、蒼紫の中のある部分に火をつけたのだった。
幼い操に会っていたあの時、すでに何人かは知らぬが、監察の目を免れ得なかったとは――――。
もちろん、目の前にぶら下げられているこの操の死体は、本物ではない。
外法の忍術をもって、何者かが作り上げた人形である。
そのことは蒼紫にはよくわかっていた。
わかってはいたが―――しかし、蒼紫の中で何かが凶暴なうなり声をあげていた。
コロス、コロス、コロス・・・・・・・。
オマエタチヲコロス。
銀礼は釜状の刃を下に向けて、ゆっくりと動かした。
円月の陣―――やはり、目くらましの術であったか。蒼紫は小太刀を十字に構えた。
いつ襲ってくるかわからない銀礼に対して、守りの構えをとったが、銀礼は驚くべきことに、操の死体に向かって刀をふりあげた。
びょう!と音がして、操の首が刀に断ち切られ、皮一枚を残してぶらり、とぶらさがった。
蒼紫の心にきしむ思いが走った。
―――外道っ。
銀礼はもう刀を取り戻している。銀礼は言った。
「蒼紫。貴様はそうして隠れたところから、俺がこの死体をばらばらに切り刻むのを見ていろ。」
銀礼はまた刀を投げた。
「おまえにはこの小娘が、よほど大事な娘なんだろうっ!」
ギンッ、と音がして、刀がはねた。
蒼紫の手にした小太刀が、陰陽撥止の型で片方だけ投げられたのだ。
―――なんだっ。
銀礼はあやうく蒼紫の猛攻を避けた。
銀礼の頭上にある木立から、蒼紫が銀礼に向かって飛び掛ったのだ。
「てめぇっ。」
銀礼に対して、恐るべき速さの太刀が次々と繰り出された。
ものすごい速さで銀礼に対して、蒼紫の小太刀が打ち込まれていく。
―――こいつは―――。
銀礼の心に、ひやりとしたものが走った。
「銀礼っ、あぶないっ。」
御沙薙があわてて刀を蒼紫に向かってふるおうとした。
しかし。
蒼紫は苦無を投げた。
御沙薙のすぐそばの木に、苦無はグサリと突き刺さった。
「おのれっ。」
御沙薙は蒼紫に向かって突っ込んでいった。
―――やったか。
御沙薙が思った瞬間。
「あ、あねさん・・・・・・・・。」
御沙薙ははっとした。刀が突き刺さっているのは、銀礼の体だった。
蒼紫は―――すでに頭上の木を伝って東屋のほうに移動している。
「銀礼っ!!」
御沙薙は、ドウ、と崩れる銀礼の体を支えた。
「おのれ、蒼紫っ!!!!」
御沙薙は大声で叫んだ。
「よくも、よくも銀礼を・・・・・・・・!」
御沙薙の蝶の術はすでに破られており、蒼紫は斬鋼線をどうやってはずしたのか、操の死体を片手に抱えて東屋に向かっていた。
「青二才め。真田の封印を逃れたわ。」
東屋の外には、辰巳が立っていた。
横には気を取り戻した、巴が手をついてうずくまっていた。
―――あの方は何故あんな子供を大切に抱えているのだろう。
巴は思った。あの子供はあの蒼紫の一体何なのだろう。
その後ろを、御沙薙が追いすがって来ていた。
「蒼紫・・・・蒼紫っ。」
叫びながら、刀を振りかざしている。
蒼紫はついに御沙薙に振り向いた。
それは巴の目の前から数メートルの場所での出来事だった。
蒼紫の身が深く下に沈んだかと思うと、跳躍して、御沙薙の胸から斜め下に俊速で剣が振り下ろされたのだ。
御沙薙は上段に構えていたので、とっさによけられなかった。
「ああっ。」
御沙薙は一声高く、叫んだ。
御沙薙の胸から血が噴水のように噴出した。
―――血の雨。
巴はその血に大きく目を見開いた。
血は蒼紫の体にも勢いよく降り注いだ。
御沙薙はそのままゆっくりと崩れた。
蒼紫は血まみれで、立っている辰巳と、崩れ座っている巴をほぼ無視して東屋の中に入った。
片手には操の死体を抱えていた。
蒼紫は片膝をついて御頭に言った。
「真田忍群、総勢22名を処罰いたしました。」
御頭は立ち上がった。
「そうか。蒼紫よ、よくやった。」
瞬間、御頭の手から手裏剣が飛んだ。中条はあやうくそれをよけた。
「闇の武よ、その方らの意向は無に帰した。京にのぼり、緋村抜刀斎を斬ることだけに専念するのだ。これ以上の戦いは無用。真田と同じ道をたどりたいか。」
御頭は重々しい口調でそう言った。
言いながら、外に立つ辰巳に近づいた。
辰巳はすでにひざまづいていた。辰巳は言った。
「めっそうもございませぬ。我ら闇の武、任務以外の何をいたしましょうや。」
辰巳はこのような狸芝居が得意なのであった。
「確かか。」
御頭はそれだけ言うと、このような地獄絵が展開されたのを、露ほども何も思わない態度で東屋を後にした。
蒼紫はなかなか東屋から出てこなかった。
しばらくしてから東屋から出てくると、何かを手からほうった。
ゴウ、と東屋に炎が走った。
彼は闇の外法で作られた操の人形を、東屋ともども荼毘に付したのだった。
その時巴は、蒼紫にすがりつくことができなかった。
蒼紫の背は、何者が近づくことをも、固くこばんでいた。

―――操・・・・・・・・・・・・・。

俺はこの先も操を守れるのか。
蒼紫はただ一度だけでも操の前に姿を現したことを悔いていた。
そして本物の操が、このような目に会うことがないと、どうして言い切れるだろう。
ただ一度の過ちがこんな意味を持つことになろうとは。

―――それでも俺は操に会いたかった。

ただひとつ見つけた、愛でるべきささやかな華。
しかし、自分が御庭番衆であるかぎり、操に会うことは許されないことだ。
そして。俺の手は血ぬられている。
蒼紫はさっき抱いていた、人形の体の小ささ、軽さを思った。
あの体が息づいて、自分の手の中にあった記憶。
あの記憶。
自分はいつか、流される血でなくしてしまうのだろうか・・・・・・。

―――いや、決して失いはしない。

蒼紫は思った。誰のためでもない、自分のためですらない。俺はただ、あの操が生きて、生き続けていくためだけに剣をふるう。
間違っていてもいい、俺には他に何もないのだから―――。
蒼紫の目の中に、東屋の焼け落ちる炎が写った。
巴はその蒼紫についに声をかけることができなかった。
―――この方は、私などの入り込む余地もない思いを、何かに抱いているのだ・・・・・・。
だから、あのとき私に手を伸ばさなかったのだわ・・・・・。
巴はさびしく思った。
―――私はでも、この刀とともに、忍びの女として生きてみせます。
それがあなたへの、私の思いなのです。
巴の頬をゆっくりと涙が伝い落ちた。
東屋は炎をあげて焼け落ちていった。

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