第三章 散華

(一)

「するとやはり蒼紫は、あの女を抱かなかったか。」
闇の武の辰巳は、中条からの報告を聞いていた。
辰巳は水ギセルをふかしている。
中条は言った。
「まあそういう男だということですぜ。据え膳を断るなんざ、そうそうできる事じゃねぇとは思いますがね。普通の御頭だったら、九ノ一になった女はかわいがってから、敵地に送り込むもんですぜ。あのすかした野郎、それを知っているはずなのに。」
中条は言いつつ、右手から手裏剣を鋭く投げた。
闇の武らがつどっている家屋の板塀に、手裏剣はぐさりと突き刺さった。
辰巳は含み笑いをした。
「ふふふ、老人どもの失望がわしには目に見えるようじゃ。その女、もう少し役だててもらおう。」
「何に使うんで?」
「いずれにせよ、あの若造は我ら闇の武が動くには邪魔だ。あの者がいなければ、あの場で御頭の老人を殺せたかも知れなかったのだ。それは真田忍群の連中も同じことだ。連中も今頃ほぞを噛んでいることだろうて。」
「でしょうね。」
「しかし、御沙薙は本気だ。現に江戸城の御頭を軟禁状態に置くように、古老らに指示を出した。」
「古老ってのは、あの御頭の元はといえば同僚のヤツらなんでしょう。なんで意見が違うんですかい。」
「古老があってこそ、今の御庭番衆があるのだ。古老らの命令は絶対だ。あの蒼紫とかいう若造のことも、御庭番衆の先例を破ることが多いということで、古老らは目をつけているのだ。蛇の道はへび、そのようにふるまえばいいものを、あの者、出自が武士だけあって、下人の役には徹しきれないのだな。しかし、それこそが我らの目のつけどころ・・・・・。」
辰巳はネコのように目を細めた。
「真田忍群の重包囲の中、御頭と巴を終点の東屋に置いておくのだ。ヤツは安堵するだろう、そこを寝首をかくのだ。」
「その前に真田の連中に絞められますぜ。」
「ふふふ、そう簡単にいくかな?御沙薙という女、あの様子では蒼紫を殺すに手段を選ばないつもりだが。わしが見た限りでは、まだ蒼紫のほうに分がある。恐ろしい恋もあったものじゃ。」
「恋、ですか。」
「それもまた恋―――業と呼ぶにふさわしい。この世は業深き者らの所業でまわっているのじゃ。」
辰巳はそう言うと、次の間への襖を開けた。
京へ出立しているはずの、巴が気絶して放り込まれていた。
中条は目を丸くした。
「御頭、これはいつの間に・・・。」
辰巳は笑って答えた。
「この女も業が深いぞ。何もなかったとはいえ、蒼紫と言葉を交わしただけでも、すでにあの者の業を背負っておる。」
辰巳はそういうと、巴の体を身軽にかつぎあげた。
「では参ろうか。死地の十絶包囲陣へ。」
辰巳がそう言うと、闇の武らは気勢をあげて腰をあげた。
巴はまだ気がつかなかった。

「若、私もお供いたします。」
般若は蒼紫の重装備を見守りながら、片膝をついて言った。
蒼紫は答えた。
「御頭が古老らからの叱責を受けた理由のひとつは、俺にある。おまえには関係がなかろう。」
「しかし、これは罠でございます。次期御頭の件は、蒼紫様を殺すための口実にすぎません。」
「般若、勘違いをするな。」
「何をでございますか。」
「俺はどうしても御頭になりたいわけではない。ただ俺の命を狙う輩は全力を持って排除する。それだけだ。」
般若は黙り込んだ。
蒼紫はその般若に、さらにこう尋ねた。
「般若、古老らが御頭を軟禁した理由がわかるか。」
「いえ。」
「御頭が強すぎるからだ。それでずっと恐れているのだ。幕府の役人どもと同じだな。」
そう言うと、蒼紫は屋敷から出て、馬にとび乗った。
「般若、俺と御頭が帰らなければ、ここの屋敷から出て身を隠すがよい。御庭番衆として生きるのをやめて、時勢に従うのだ。わかるな。」
それだけ言うと、蒼紫は真田忍群の指定した場所へと馬を駆った。
般若はついに蒼紫にはついて行かなかった。
蒼紫の立ち居ふるまいには、般若の同行をこばむものが、あまりにもはっきりと出ていたからだ。
―――あのお方は、なんでも一人でやってみたいのだ。
般若は蒼紫の身の無事を祈った。
それが、かつて蒼紫に一命を救われたこの老兵の、生きがいであり信念であったのだ。

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