(四)


巴は御庭番衆預かりとなったが、当面はまだ、預かり置きの状態であった。
巴が危惧したようなことは、当座の間はなかったのである。
ただ、九ノ一としての簡単な心得、あまりしゃべらないこと、行った家屋をよく観察することなど、の訓練とも呼べないほどのことを訓練された。また、護身術なども教わったが、これも武家の娘として巴が知っている最低のことと同じであった。
―――私の女としての部分を使えという、お奉行の言葉は何だったのかしら・・・。
巴は数名の下働きの女たちと、御庭番衆屋敷内の家事炊事などをするようになった。
だがしかし、巴の運命はやはり回りだしていたのだった。
巴の知らないところで、それは起きていたのだ。

その日、蒼紫は後に先代御頭と呼ばれることになる、老人―――つまり、この時点での御庭番衆の御頭に呼ばれて、茶室で茶をたてていた。
蒼紫はまだ「若頭」であり、配下の者には「若」と呼ばれていた。
まだ春の遠き日、雪も残る寒い午後であった。
御頭は蒼紫のたてた茶を満足げに呑むと、丁寧に懐紙でぬぐった後、こう言ったのだった。
「奉行所から回ってきたあの女、おまえはどう思う。」
蒼紫はにべもなく答えた。
「あのような者にいかほどの大役が務まるのでしょうか。任務を果たして帰ることもままならぬと思います。何故あのような者を。」
「ふ、きつい言い草だのう。おまえは相変わらずだ。」
蒼紫はお手前の茶碗をすすぎながら、答えた。
「抜刀斎にはほとんどの手だれが殺されております。立川流も通じますまい。」
蒼紫の口からその言葉が飛び出したのを、老人はあえて無視して言葉を継いだ。
「抜刀斎という男、話によるとおまえとそう変わらぬ歳の男らしい。だから上の者がこういった手を考えたのだな。」
「邪法をもって忍法とするのは、あなたもよしとしないのでは。」
「・・・・あの女は闇の武が預からせてほしいと申してきた。」
「辰巳ですか。」
「そうだ、辰巳だ。奴は女の扱いには長けている。京まで無事送ることもできよう。」
ここで御頭は、一息ついたように庭の木を見て言った。
「梅の花が咲いているな。見事なものだ。蒼紫よ、おまえも早晩あのような者と接触する機会が出てくるかも知れん。いい機会だ。ここで手引きしてみたらどうだ。」
蒼紫の茶器を片付ける手が止まった。
「どういうおつもりで言っておられるのですか。」
「真田忍群の奴ばらが、あの娘に立川流をやらせるのはもう目の前のことだ。おまえはそれが不服なのであろう。」
「そういうつもりで言ったのではありません。」
「わしにはそう聞こえた。」
「では、お断り申し上げる。」
蒼紫の断りの言葉に、老人は押さえつけるように言った。
「ならば、目の前の地獄を今一度見るのだな。」
「地獄?」
「おまえのそうした心根を悟っている者が、実は大勢いるとしたら何とする。わしが今おまえに言えることは、それだけだ。」
老人はそう言うと、席を立った。
―――また、試されている。
蒼紫はしばらくそのまま座っていた。
老人の言葉は、彼にとっては思いもよらぬものだった。
―――あの女を俺に押し付けるとでもいうのか。
そして、その最後の言葉も―――。

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