(九)


それから数日後、翔伍は村人らとともに、港でオランダ船に乗船していた。
その中にはロレンゾ庄三の姿もあった。
この若者も小夜の死には手放しで泣き、エルステンが建ててくれた小夜の墓の前からなかなか去ろうとはしなかった。
翔伍も共に祈った。
庄三はそんな翔伍の厳しい姿に打たれたが、後ろから殴りたくなる気持ちを必死で抑えた。
村人たちを無事にオランダまで届けないといけないからだ。
彼らは今故国を離れようとしていた。
出航の合図とともに、船は岸壁を離れた。
翔伍は遠い目で岸を見つめた。
と、その時だった。
港から少し離れた岬の上に、人影が動くのを翔伍は認めた。
―――あの男、生きていたのか。
蒼紫が岬の上に立っていた。
翔伍は一瞬目を見張ったが、己れの敗北を認めぬわけにはいかなかった。
―――しかしオランダ領事館に事情を話すとは。一体どういう男だったのか。わからぬ。
蒼紫の孤影は見ているうちに、崖の上から遠ざかって行った。
そばに一人男がついていたが、これも去った。
翔伍は思った。
―――オランダに行けば、二度と私は剣を持つこともないだろう。―――
と―――。

それから数刻後―――夕刻。

海を見渡せる丘の上に、真新しい墓が建てられている。
翔伍が祈り、庄三も祈った墓である。
下で辰政が蒼紫を待っていた。
―――やっぱりあの女にホレとったんだねェ。
と、辰政は思ってキセルをふかしていた。
―――ま、邪魔しちゃ悪いしよ。
辰政は心得たつもりでいた。
あの女もあんたのことは、まんざらでもなかったようだぜ・・・・・。
蒼紫は野の百合を一輪手にしていた。
その花は、聖母マリアに捧げられし花―――。
目の前の墓には大きな花束と、翔伍の大剣が備えられており、蒼紫の目はじっとそれらを見つめている。
あの男はもう、剣を捨てていったのか。
蒼紫の中には忸怩たる思いがある。
その髪を海風が穏やかに散らしている。
やがて日が翳り、木々の葉ずれが風にざわめいた時、蒼紫は無造作に墓の下に花を置き、墓の主に心の中で語りかけた。

―――あなたはさげすむだろうが、俺はあなた方二人を憎んでいた。

ザッ、と海から突風が吹き、降りてきた影を辰政が「じゃあ行きましょうか。」と迎えた時、確かに「失せろ」という声が響いて、辰政は今すれちがった人をあわてて振り返り見た。
丘の上は静かで、ただ遠くで波の音が刻んでいて、今にも海中に沈みゆく夕陽があたり一面を照らしていた。
辰政はギョッとなり、その静寂さの中であたりを見回した。


元隠密御庭番衆御頭・四乃森蒼紫の影は、すでにそこにはなかった。



―完―


挿入歌:賛美歌第496番「雑」
―Beautiful lilies, white as the snow―
Alice Jean Cleator 作詞
Lincoln Hall 作曲
日本基督教教会

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