●あとがき●

映画「耳をすませば」の中で、主人公の少女・雫が、自分の書いた小説を読んだ西老人の前で叫ぶセリフがある。
「ウソです。ウソです。書きたいことがまとまっていません。後半なんかメチャクチャ。自分でわかっているんです。」
私の今の心境もこれに同じである。
とりあえず、終わった。
しっかりしたテレビ版のプロットがあるにもかかわらず、私は後半からの、制作ノートを作っていなかった。
ただあらすじだけは頭にあり、ほとんどぶっつけ本番で書いた。
私が言いたかったことは、この物語ではなんだったのだろう、と今はぼんやり考える。
昔から小説を書いてきた。ボトムズ、トルーパー、未完に終わった作品もたくさんある。
それらの作品でも、私は恋愛の甘い雰囲気のものは書けず、登場人物は運命に翻弄され、
相手との「絆」を遠くから強く願う。それが私の定番なのである。
この本作では、最後に蒼紫が手向けの花を捧げるのだが、この花に私はさまざまな意味をこめた。
それは蒼紫が以前に言っていた「最強の華」でもあるし、小夜へのいたわり、そして嫌悪、またその裏に秘められた操とその家族への相反する二つの思いである。蒼紫は何処かで、操の家族に恨みのようなものを持っている。
公式に近い設定では、代々の御庭番を支えるために、生き残った孫娘の操を守ったという平和な設定のようだが、私はこの設定にひねくれた解釈を与え、少し蒼紫と操の関係を複雑にしてみた。そうでもなければ、どうして志々雄のアジトに行くときに、操に「失せろ」と言えるであろう。
私はこの「るろうに剣心」での蒼紫の基本設定がわかるにつれ、この「主家の娘に仕える青年」というモチーフは何処かで見たと思い、やがてあああれだと思いいたった。谷崎潤一郎の「春琴抄」である。
谷崎先生の小説の青年は大変にたよりなく、また娘春琴も大変に驕慢な性格だが、おのが目を針で刺して永世の愛を誓う場面の迫力は、蒼紫に通じるものだと思った。
そのようなものを自分でも書いてみたいと思った。
いわゆる剣豪小説では、私がはじめて感嘆したのは、柴田錬三郎先生の「剣は知っていた」である。二度目に驚嘆したのは、山田風太郎先生の「甲賀忍法帖」だ。
剣も剣術のことも何もわからず、ただあんなものを蒼紫で書いてみたいと思い、ついうかうかとホームページを立ち上げて小説を書くというはめに陥ってしまった。
島原編はご存知のように、テリビオリジナル話で話数も十話と中篇である。
テレビサイズの中では、脚本演出声優さんの演技と、どれをとっても一級品であった。
ただ、私はあの話を蒼紫で取ってほしかった、その一心でこの話を書いた。
もとより、華やかなところに私は似合わない。
でも、影ながら応援してくださった人たちがいて、なんとか完という文字にたどりつけた。
今はその方たちに、感謝の念でいっぱいである。

付記:るろ剣イメージソング集の2に収録されている、操の「ICE BLUE EYES」と、小夜の「悲しみにためされても」は、執筆中何度も聞いた。この曲のイメージにはずいぶん助けられました。ほかはラフマニノフのピアノ協奏曲の2番をテーマミュージックにして書きました。フィギュアスケートの伊藤みどりさんが銀メダルを取ったときにこの曲の第三楽章が使われましたが、私が好きなのは第一、二楽章です。この暗さ、そして超絶的な技巧を必要とする部分が蒼紫だなーと思います。この曲はカセットレーベルにも蒼紫の顔入れて大切にしてます。ラフマニノフ先生、どうもすいません・・・・。あと、こういう事を言うと反論がたくさんくると思いますが、ロックの曲だと、イエスの「ラウンド・アバウト」ですか。これの新録音の方ですね。これが蒼紫だなーと思っていて、昔エアチェックしたカセットレーベルにも蒼紫のアニメ誌からの切り抜きいれて聞いていますね。ロックは詳しくは知らないので、これは絶対「違う」という人いると思いますけど。でもベースギターの感じがなんかすごく蒼紫っぽいんですよ。もし機会があったら聞いてみてください。まあレンタルCD店にもあまりないと思いますけど。「ロンリー・ハート」が入っているアルバムに入っているのかな。「1/3の純情な感情」もまあいい曲ですが。
なお作中使用した讃美歌は、昔歌って知っていたものです。

・賛美歌第496番「雑」(麗しの白百合) 自作MIDI◆お好みでお鳴らし下さい


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