(七)
蒼紫は銃の包囲の中に立っていた。
「・・・・・あまり俺を怒らせるな。」
翔伍は蒼紫の言葉に冷笑をかえした。
「その女を哀れに思うのか。」
蒼紫は鋭い目つきで見返して言った。
「貴様の妹は、死んだ。」
「なに。」
翔伍の顔に動揺が走った。
「小夜が――小夜が死んだだと。それは嘘ではあるまいな。」
「小夜、と言うのか。」
あとは蒼紫は無言であった。銃に対して、小太刀を構えていた。
そばには手をもがれたモリガン朧の死体がころがっていた。
翔伍は言った。
「貴様があの軍艦を呼び寄せたのだな。言え。海軍の誰とつながりがある。」
「・・・・・・・・。」
「まあいい。いずれその者の首も打たせてもらう。」
その時、天主堂の上にすさまじい砲撃が見舞った。
鋼鉄艦は一艘ではなかったのだ。
翔伍の顔に、焦燥が走った。
「ちっ、まだ一艘いたのか。」
だが、その一瞬。
蒼紫を囲む銃を構えた者らは、声もなく、いっせいに倒れた。
すべて峰打ちであった。
翔伍がそれをよけたのは、恐らく本能である、と言っていい。
間一髪、翔伍は蒼紫の小太刀をはじくと、ダッ、と外の砂浜に向かって駆け出した。
蒼紫は翔伍を追った。
まだ散発的に砲声の声はとどろいていた。
村人らは、翔伍に見捨てられ、あの砲声の中を逃げ惑っているのだ。
戦さというのは、いつも同じだ。
弱い者のみが、このような悲惨な目に会うのだ。
「天草翔伍!」
蒼紫は逃げる翔伍の前についに立った。
翔伍は言った。
「貴様は、あの時の男だな。京で俺の前に立った。」
「・・・・・・・・・。」
「貴様が軍部の犬だったとはな。」
天草翔伍は剣に手をかけ、鯉口を切った。
蒼紫と相対することを覚悟した風であった。
蒼紫は言った。
「何と言われようとかまわん。今は、おまえに問うことはひとつだけ。何故あの時操を倒した。」
翔伍は考えをめぐらせていたようだが、こともなげに言った。
「あの時の女か。あれは貴様の兄妹か何かか。」
「ちがう。」
翔伍は蒼紫の答えにうすく笑って答えた。
「では同情はしよう。しかし、刀を持って向かってくる時点ですでに間違いだったのだ。女として穢れた魂と言わざるを得ない。あの技はその罪への報いに過ぎぬ。甘んじて受けるべきだ。」
「なに。」
翔伍は蒼紫の思いもよらなかった言葉を続けた。
「私は穢れなき魂の妹の小夜を失った。その前に、穢れた魂のひとつが神によって召されるのは、むしろ誉むべきことと言っていい。貴様も天上の魂について思いをめぐらせば、この地上の生死など草葉の露の葉のまたたきにすぎぬことがわかるだろう。それだけの技を会得した者を殺すには忍びん。ことに貴様のような、執念深い男はな。」
「――――。」
「我が同士となるならば、貴様をここで倒すことはやめにしておいてもよい。」
翔伍はガラス玉のような瞳に冷たい光を宿して、言い切った。
その絶大なる自信は揺るぎようもなかった。
蒼紫は自分の中の凶暴さが目覚めるのを感じた。
こらえろ、と彼は己れを叱咤した。
―――感情に動かされてはならぬ、感情に・・・抜刀斎の時と二度と同じ轍は踏まぬ・・・・・・。
目の前の男を動かし形作ってきたのが、この理なのだと、蒼紫の冷静な部分は判断できていた。
しかし―――。
―――穢れた魂だと。
目に見えない言葉の鋭利な破片が、一瞬で蒼紫の胸に突き刺さり、突き抜けていった。
それは翔伍が自分の妹と引き比べて、操をおとしめたからだけではなかった。
かつて操が九ノ一として生きる道を選び、また選ばせるように仕向けたのは、ほかでもない御頭だった蒼紫なのだ。
般若が操に苦無の使い方を教えるのを見た時も、蒼紫は受け入れ黙認した。
あの時操を完全に手放していれば、操は違う空の下を自由に羽ばたいていけたかも知れないのだ―――例えばこの男の本当の妹の、あのマグダリヤ小夜のように。
そう考えることは、心にできた傷をさらに大きく拡げ引き裂くようなことだったが、操の目がどんなに祈り続けたところで治らぬと思う蒼紫にとって、当然の帰結点と言えた。
心も血を流すことがあるのかも知れない、と蒼紫は思った。
つまり俺は、それほどまでにあの操がそばにいてほしかったのだ―――――――――――――――。
「どうした。答えはなしか。」
翔伍が剣に手をかけた。
相手はガクリと首を垂れていて斜めに目を切るように下がった髪で、その表情は読めないでいた。
翔伍は少したじろいだ。
一瞬すさまじい冷気のようなものを蒼紫から感じたのだ。
しかし翔伍はすぐに打ち消した。
―――フ。かかりの姿勢にすぎん。
蒼紫はバサリとコートを脱いだ。
が口をついて出たのは、意外な言葉だった。
「貴様を捕縛する。」
翔伍は苦笑した。
「ふふ。言ってみるものだな。私は上京して今度は別の標的を狙う。日本政府はキリスト教徒を弾圧した。それを諸外国に向けて、さらしものにすることができた。次はまた政府だ。新たなる伝説の始まりだ。」
「村人たちもその)か。」
「そうならざるを得なかった日本政府を、私は心より憎む。傀王もくぐつだ。来い。貴様は惜しい男だから、それなりの流儀で殺してやる。」
翔伍は抜刀術の構えを取った。
蒼紫も両刀を引き抜いた。
翔伍は内心嘲笑した。
―――構えた時点ですでに負けだな。太刀筋がまる見えだ。一瞬で殺す。
二人の男が対峙しているこの海岸に、人が降りてくる気配はなかった。
ここでの戦いは終わってしまったが―――小夜がもし生きていたら、潜伏し、さらなる次の機会を待つ。
翔伍がそう思ったとき、蒼紫の垂れた首が動いたような気がした。
―――もらった!
翔伍が踏み込んだ。
逆風が足元から巻き起こった。
相手が引き込まれる抜刀術―――『天翔龍閃』・最も美しく、最も恐るべきかの抜刀術―――刀身が流れるように空間にひらめいた。
蒼紫の頭から胴までを両断する刃が、上段より駿速で襲ってきた。
蒼紫の体は無残にも寸断され、小太刀は宙に舞うであろう。
しかしその時。
―――いない!
翔伍は刀の第一撃が空をかすめるのを感じた。
蒼紫が体をひねって、海岸の岩を蹴り、その反動で高く宙空へと跳ね上がっていた。
一瞬見えた目つきは鋭く、獲物を狙う猛禽類のそれであった。
―――しまっ・・・・!
翔伍に殺される、という意識はない。
ただはっきりとした恐怖心というものを、剣が宙をかすめた時意識したのだった。
翔伍は轟然と剣を振り上げた。
―――斬る!奴が落ちてきたその時!
不吉なる暗き巨鳥の爪牙と、臥龍の閃光の雷撃が、明暗を分けて交錯した。
―――呼んでいる・・・・・・・・。
蒼紫様がまた何処かで戦っているの―――操は布団から起き上がり、座っていた。
何だろう、この感じ・・・・・・・操は光の手を感じた。
ずっと昔・・・・・触れられても恐ろしくはなかった。
あの人の手がそこにある。
その感触を私は嫌ではなかった。
操はゆっくりと手を後ろに回すと、静かに包帯の端をほどいた。
―――私・・・・私・・・・見えるわ!
操は澄んだ瞳でまばたきをした。
美しい白銀の光が降りてきて、彼女の手の輪郭を空間の中に浮き上がらせた。
この確かな形。
私であるという形。
彼女は己が手のひらを見つめた。
この瞬間にも、彼女の心はただ一人の存在に向かって、祈りを捧げていたので、唇は自然にその名をささやいた。
「蒼紫様。」
波濤がくだけた。
翔伍は『天翔龍閃』の技を終えた姿勢で立っていた。
左よりの居合い抜きで上段よりの技、近づく者はみな、竜の牙につかまれ、呑み込まれるというあの技――――。
しかし、翔伍はつぶやいた。
「なぜ――――。今の技は―――。」
と、彼の体はゆらぎ、肩からは血を吹いた。
そのままゆっくりとくずれた。
翔伍の顔は無念さに引きつっていた。
それは剣技とは言わぬ、剣法とは言わぬ。
しかし彼はその言葉を吐くことはなかった。
倒れ伏したからである。
蒼紫は数間離れたところで、片ひざをついていた。
肩で息をついていたが、ようやくの想いで言った。
「御庭番式小太刀二刀流、九連宝塔――――。」
言うことに何の意味があるのだろうか、と蒼紫は思った。
翔伍の雷竜閃と同じく、戦国の世に封印された異形の技―――。
蒼紫は比古清十郎の「飛天御剣流には九頭龍閃という技もあるのだが」、という短い言葉から、この技を考えていたのである。
九回の連続打撃技。
蒼紫の意地であった。
そして九回の打撃を行うには忍びの技を加えることで、もはや剣法の世界からはみ出るということも、彼にはわかっていたのである。
蒼紫はまた、何度ものイメージ・トレーニングで、まともにこの技を頭から仕掛けた場合、人体がどのように切り刻まれるかも計算していた。
宙空に飛んだ時、一回転し、相手にフェイントをかけて同時に反動する力で九回、らせん状に剣打をその着地までに加える。
これに手心を加えるようになるまでには、並たいていのことではなかった。
この為庄三に対しても、拳技を行い、肉体を酷使していたと言ってもいい。
―――それでも身の軽い抜刀斎には敗れるだろう。この技は、相手が天翔龍閃に絶対の勝利を確信していたからこそできたこと・・・・・。
そして抜刀斎もやはり言うだろう。
それは兇剣に過ぎぬと―――何故ならば、以前として蒼紫は剣心を倒すつもりでいたからである。
翔伍を救ったのは、軍命のほかに、小夜があまりに哀れであり、また抜刀斎ほどの過去からの恨みを、翔伍には見出し得なかったからである。
村人を集め煽動した罪は重いが、それは自分が下すべき鉄槌ではないし、この場合してはならないことなのだ。
それが、この場合自分に求められた裁量というものなのだった。
―――操。おまえ一人の為であれば、この者を今ここで―――――!
蒼紫はようやくの思いで、翔伍に剣を向けることを思いとどまった。
心の中を嵐が吹きすさんだが、蒼紫は静かに剣を鞘に収めた。
これもまた、抜刀斎の言うところの殺さずの勝利か。
俺は何故これを肯定できない。
蒼紫は己れの苛烈さを想った。
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