(六)


翔伍の胸のメダリオが、キン、と高い音を立ててはずれた。
「小夜の身になにか・・・・?」
拾いあげて、翔伍は不吉な予感を払いのけた。
ふっ、と京都で斬りあいをした時の、蒼紫のことも思い出された。
「まさか――な。」
予感を打ち消すように、翔伍は采配をふるった。
「村人たちを歩累の前へ出せ。」
村人たちは、旧式の銃を持たされている。
殉教するのだ、と翔伍に言いくるめられた彼らは、泣きながら軍の砲撃に向かっていく。
最新式の銃で武装しているのは、天主堂にたてこもる、翔伍を守っているならず者たちばかりだった。
何という冷酷さであろう、天草翔伍は信徒らが殉教死するように仕向けていたのである。
―――その方が、日本政府がキリスト教を信ずる諸外国に対して、顔向けができまいからな。好都合だ。
小夜がこうした兄の冷酷さを知らずして死んだのは、ある意味では幸いであったかも知れない。
「神のみもとに行くだーーーー!」
村人と子供たちが、蒼紫が旧式で使い物にならない、と言った銃で軍の砲撃にむかって走って行く。
「えーん、えーん、翔伍様、翔伍様・・・・・。」
泣く村娘の前にその時、翔伍様とみまごう人影が現れた。
「あっ、翔伍様・・・・。」
それは、馬で駆けつけた蒼紫だった。
土煙の中で、蒼紫は抱えあげられるだけの子供を抱えると、砲撃から逃れた。
「翔伍様、翔伍様・・・・・。」
蒼紫は子供たちに翔伍と間違えられていた。
その時、樹の上で人影が動いた。
「猩々か。」
「ここに。」
「俺がいいと言ったら、仕掛けろ。」
かつての御庭番衆の受け答えの呼吸で、猩々がすばやく退いていく。
辰政は木陰に隠れて、蒼紫たちの様子を見ている。
「ちっ、あのヤロウ・・・・・。寝返りやがったか。」
蒼紫の姿は一瞬かき消えたが、次の瞬間、軍の最前線の前に現れていた。
司令官が大声で叫んだ。
「なんだーっ、貴様はーっ。」
「砲撃を中止しろ。」
「貴様はぁっ、軍の命令をーっ、阻止するのかーっ。」
「もう一度しか言わん。砲撃を中止しろ。」
蒼紫は繰り返した。
司令官は蒼紫を無視して、命令した。
「ええい、撃て撃て。」
その瞬間、軍の陣地全体が音をたてて陥没した。
猩々の土遁の術である。
蒼紫は御庭番衆の用いる、簡単な策を弄したのだった。
「きさまーーっ。」
司令官たちは、土煙の中でうめいた。
すでに蒼紫は樹上の人である。
身軽に天主堂にむかって、飛んでいた。
それを猩々のすげ傘が追う。
「御頭!」
「貴様の用向きはここまでだ。」
はっ、と猩々が見回したとき、蒼紫の気配はなく、声のみが木々の間に伝わってきた。
猩々はあることを悟り、その瞳に涙があふれた。
「御頭!俺は――俺は。」
あなたのことが、と言いかけた時、蒼紫の声はさえぎった。
「御庭番衆は解体した。俺がしたのだ。さらばだ、猩々。」
二度とは、会えない―――猩々は面をはずして一礼をすると、その場を風のように立ち去った。

蒼紫は風のように天主堂に向かって走った。
―――海の方が心配だ。俺の予感では。
天主堂の前を守るならず者らに小太刀を一閃させると、蒼紫は堂の窓を蹴破った。
「天草翔伍!」
だが、堂内はもぬけの空だ。
天主堂は海に面して立てられている。
その窓から、蒼紫はある物を見て息を呑んだ。
―――長崎海軍の鋼鉄艦!
軍艦の砲門は残らず、天主堂を狙っていた。
―――そういうことか。
その時。
蒼紫の背後でなつかしい声がした。
「ホーホホホホ、やっとここまでたどりついたね。」
死んだはずの朧であった。
蒼紫は驚かず無表情だ。
「やはり変わり身―――。」
「おまえが斬ったのは、血袋さ。あいにくだったね。」
だが、朧はかすかに右脚をひきずっていた。
蒼紫は小太刀を呉鉤十字に構えて言った。
「捨て身の変わり身だったようだな。」
「問答無用!」
朧は一声叫ぶと、槍をふりかざした。
二人の激しい斬り合いが展開された。
その時、沖の鋼鉄艦から砲撃が開始された。
砲撃はものすごく、天主堂の中をぶちやぶった。
「あれも貴様のシナリオ通りか。」
蒼紫の問いに、土煙の中で朧はくやしげに顔をゆがめた。
「翔伍が・・・・翔伍が・・・・私たちを裏切るとは・・・・・・!」
「飼い犬に手をかまれたな。」
朧はその言葉に、一瞬ひるんだ。
その瞬間、蒼紫の姿は目の前になかった。
―――またあの流水の動きとやらかっ。
朧は目の前の空間に激しく槍を突き出した。
恐らく、そこに、蒼紫はいるはずなのだ。
だが―――。
手ごたえがなかった。
―――何処に隠れる空間が―――?!
「―――上っ。」
朧はあわてて振り仰いだ。
蒼紫の身体が梁の近くにまで旋廻していた。
朧の瞳が大きく見開かれた。
蒼紫の両小太刀が今度こそ、蒼紫の全体重をかけて朧の両肩に直撃していた。
「あああああッ。」
朧の両腕が胴体から切り離されて、天主堂の床に血をふりまきころがった。
「傀王さまーっ、傀王さまーーーっ!!!」
朧は両腕をなくして、声の限りに絶叫した。
その声に、傀王は答えたのだろうか・・・・。
死んだはずなのに―――。
沖の海軍の鋼鉄艦にその時、発砲しながらつき進んでくる一艘の大型船があった。
傀王の海賊船だ。
指揮をしているのは、まぎれもなく傀王であった。
「朧よ・・・・わしがこときれる前に、このわしの姿をとっくと見よ・・・・・!」
本島から遥かに離れた、野母崎の彼方から、その船は進んできていた。
海軍の軍艦に乗る、乗鞍彦馬はその瞬間、恐怖した。
「アウッ。」
彦馬の肩に砲撃の破片が当たった。
「舵を切れーっ、舵をーっ。」
彦馬は宗舵手に叫んだが、遅かった。
船の回頭までには、時間がかかるのだ。
海賊船は、鋼鉄艦にのりあげた形でぶつかった。
傀王の執念であった。
「この距離から、アームストロング砲を撃てば・・・・!」
狂気の表情で傀王が言った時、巨大な火花があがった。
蒼紫は言った。
「やはり、砲身がはじけ飛んだか。」
今の衝撃で、傀王の乗る船のアームストロング砲が自壊したのである。
朧は、放心の態でそれを見ている。
ぼろぼろになった朧でも、金髪がかかるその横顔は美しかった。
「もはや、思い残すことはない・・・・斬れ・・・・・。」
朧がかわいた唇でそうつぶやいた。
蒼紫は無言で見下ろし立っている。
「・・・・・おまえは一体どっちの味方だ!早く斬れ!」
その時、朧の喉を、大剣が音もなく貫いた。
「天草翔伍――――。」
蒼紫は目を見張った。
翔伍が武装したさむらい集団を引きつれて、堂内に入ってきた。
朧は無論、即死であった。
翔伍は大剣をすらりと喉から引き抜いて言った。
「やれやれ。よくもまあ、これだけしゃべる。女がどなるのは、見苦しい。そう思わんか。」
翔伍が言うと同時に、銃の重包囲が蒼紫を取り囲んだ。

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