(五)


エルステンは本島に上陸してから、すぐに馬を二人の男にとめられた。
「止まれ、止まれーっ。」
銃を持った、クリスとミスター山東だ。
エルステンは二人に言った。
「私はオランダ領事館のエルステン・ロペスだ。天草翔伍に会いたいのだ。通してくれ。」
クリスと山東はエルステンの言葉に、顔を見合わせ、ほくそ笑んだ。
「翔伍様のところへは、自分たちが案内してさしあげますよ。」
「それはありがたい。」
クリスらは連れている馬に乗ると、山道を入って行った。
「早くしないと、砲撃が始まってしまう。それまでに、天草翔伍を説得できなければ。」
エルステンは馬を急がせた。

その山道の付近を、小夜をつれた蒼紫ら一行は反対側から登りつつあった。
やはり、蒼紫は小夜を背負っていた。
「聖霊の丘は、この山の向こうです。」
小夜が言うのに、三人は山を登っているのだった。
と、その時、銃声が聞こえた。
蒼紫は急いで山を駆け上った。
「あれは―――!」
蒼紫の知っている、エルステン・ロペスが二人のならず者に銃をつきつけられ、脅されているではないか。
エルステンは崖のふちに追い詰められている。
「あの人は誰?」
「オランダ領事館の外交官だ。助けるぞ。」
言うなり、蒼紫は小夜を下ろして駆け出した。
小夜もあわてて、後を追った。
辰政も後を追いかけたが、もはや捨て鉢な感じである。
「ちっ、まためんどうなことに・・・・。」
小夜は大声で叫んでいる。
「クリス、山東、その人を殺してはなりません。」
エルステンは風のように突然現れた、自分を守る人影に驚いた。
「君は。」
「あなたに手紙を書いたものです。」
「では、君が四乃森蒼紫君か―――!」
蒼紫はクリスと山東に、抜刀の構えを見せていた。
クリスが言った。
「なんだてめぇは?めんどうなことになりそうだから、こいつを始末しようってのに。」
銃を発射しようというその時、蒼紫の手から、小太刀をしまっている刀の鞘が飛んだ。
鞘はクリスの手から銃を跳ね飛ばした。
蒼紫はクリスに向かって小太刀を一閃させた。
クリスは斬られて、大声でわめいた。
「てめえっ!」
その瞬間であった、山東の銃がエルステンに向けて発射されたのは。
「あぶないーーーーっ!」
小夜が悲鳴をあげて、エルステンの前に飛び出した。

バーン。

蒼紫もエルステンも、愕然としていた。
小夜がエルステンをかばったのだ。
エルステンは小夜につきとばされた。
小夜はそのまま、前かがみになって倒れた。
エルステンは小夜に駆け寄った。
「きみ、きみ、しっかりしなさい。」
あわててエルステンが言うが、小夜の左肩に弾丸は命中していた。
蒼紫はダッ、とクリスと山東に向かうと、小太刀をひらめかせた。
「うおっ。」
山東もやはり斬られたが、もはや遅かった。
一瞬の隙を狙われたのだ。
エルステンは小夜を抱えて、応急処置をほどこしていた。
「ここは十分な設備もない。早く長崎へ運んでいかないと―――。」
小夜は小さくかぶりをふった。
「いいえ・・・・・あなたは兄の身を助けに来られたのでしょう・・・・・兄を・・・・村人たちを救ってください・・・・私の命など・・・・・。」
「あなたは・・・それでは天草翔伍の妹殿ですか。」
エルステンは胸がいっぱいになって、その目に涙が浮かび、言葉が出てこなかった。
「そうです・・・・・お願い・・・・兄を・・・・兄を・・・・・この手紙を・・・・・兄に・・・・・・・。」
かよわく震える指先が、虚空をつかんだ時、小夜の命は天に召された。
まぼろしの純白の小鳥が一羽、天に向かって羽ばたいていった。
蒼紫は血のりのついた小太刀を握り締め、呆然と立っていた。
こんなにもあっけなく―――守ろうとした命が別の形で死を迎えようとは、彼は思ってもみなかった。
「手紙とは―――?」
エルステンが問うのに、蒼紫はかがみこんで、無言で小夜のポケットから手紙を取り出した。
その時、蒼紫らの背後で砲声がした。
「西南戦争の再来か。」
エルステンが言うのに、蒼紫は馬を引いた。
その形相は、先ほどよりもさらに殺気だっていた。
蒼紫は言った。
「馬をお借りする。あなたは軍の司令部に行って、砲撃を中止するよう、言ってください。」
「待て。そんなことは軍は聞き入れないぞ。私は、先ほど説得を試みたのだ。取り合ってくれなかった。君一人で何処に行くのか。」
エルステンが叫んだとき、すでに蒼紫は馬上の人であった。
辰政があわてて、蒼紫の後を馬で追った。
エルステンは小夜の遺骸とその場に取り残された。
「なんと、哀れなる女人であることか。」
エルステンは帽子を取り、小夜の亡き骸に向かって十字を切り合掌した。

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