(四)
「あなた方によく言っておく。新しき葡萄酒は新しき皮袋に入れなければならない――――。」
天草諸島の中で、一番大きな本島の天草灘側には二つの天主堂がある。
長崎の浦上天主堂に比べれば、規模も小さく粗末な建て方だが、今そこで天草翔伍は、集めた群衆を前にひときわ声も高らかに聖書の一説を読み上げていた。
祭壇には立派な飾りつけがほどこされ、そのマタイによる復音の一説は翔伍の好むところであった。
と、そこへ一人の男が入ってきて、翔伍に告げた。
「そろそろ刻限です。」
翔伍は脇待の少年たちを下がらせると、天主堂から丘を登り始めた。そこにも群集が道を作っていた。
人々は翔伍が通り過ぎると、口々に言った。
「ありがたや、翔伍様のおかげで病が癒えた。」
「翔伍様ってなんでもできるんだね。」
「天草四郎様の再来じゃ。」
老人や子供たちがざわめきながら、見守っている。
中には手を合わせて祈っている者もいた。
翔伍はその前ょ、柔和な笑みをたたえて進んでいく。
と、丘の上に立つと、翔伍は腰の大剣をスラリと引き抜いた。
天にはにわかに黒雲が流れ、陽は妖しく明滅しはじめていた。
観衆らはどよめいた。
偶然なのか、翔伍の立つ丘を残して、あたりが薄闇の中に沈みはじめたのだ。
「陽が・・・欠けていく。」
「昼が死んでゆくぞ!」
翔伍は落ち着き払って大剣を、残っている陽光にかざした。
薄明の中、この剣だけが異様なる白迅の光ょ放った。
ザッと信徒らは地にいっせいに膝をついた。
「天帝様!天帝様じゃ!」
「天帝様が降臨されるぞ。」
翔伍は固く目をつむっている。
彼はこの世ならぬ者の声を聞いているのだろうか―――が、突然カッと目を見開くと、彼は叫んだ。
「そなたたちはこれからは、神の申し子である。すべての命は、殉教しても、天国へ聖なる天使たちが迎え入れるだろう。わが身も既に天草四郎時貞殿によって、導かれている。天にいたるまで、私は七つの煉獄の門をくぐり、そして、主によって天に召されるだろう!」
その同じ刻限―――。
「時間ですな。」
望遠鏡をのぞいていた陸軍仕官が短く告げた。
仕官の横の男が低くささやいた。
「ヤツらは最新式のスナイドル銃をもって武装しているとのことです。」
「しかし信徒すべてが武装しているとは―――。」
「あまり甘く見ない方がいいと思いますがね。彼らは殉死を何とも思っちゃいません。」
「乗鞍君、しかしキリスト教徒なのだがね。」
「いずれにせよ、私の任務はここまでです。私は東京に戻ります。」
「うむ。君の調査は大変役に立ったよ。」
「それはいたみいります。」
それは、以前蒼紫が京都で会った、乗鞍彦馬であった。
彼は仕官らの陣地を抜けると、軍艦が停泊している浜へとくだって行った。
仕官らは一言つぶやいた。
「警視庁の狐め。銃が渡る前に、敵をあげんか。」
「あの鋼鉄艦は、出撃命令が下されているのありましょうか。」
「知らんな。海軍のことは・・・・。」
と、そこへ歩兵が走ってきて言った。
「本島の敵は、歩塁を築いています。」
仕官は目をむいた。
「何ッ、歩累だと。そのような物、暴動の流徒が―――。」
「知識を持った者が煽動しているのではないのかね。」
司令官だった。さすがに冷静だ。
「だとすれば、篭城戦になることを見越して、それぐらいするだろう。敵の流した情報に踊らされるな。」
「情報、でありますか。」
「天草四郎時貞の復活とやらの、赤新聞のような告知文だ。彼らは鎮圧せねばならん暴徒だということだ。」
その時また、伝令の者が走ってやって来た。
「司令官殿、長崎から軍医を呼びましたか?」
「軍医?」
「外国人軍医が、先刻馬車から降り、本島へ渡航したようなのであります。」
「そんな連中は私は知らん。外国人、というと信徒と関係があるのかも知れんが。今はかまっておれんな。」
司令官は命じた。
「移動を開始せよ。連中が一砲目を発射したら、全軍あげて一斉射撃だ。」