(ニ)
その同じ頃、東京では川路利良と斎藤一が山縣卿に呼ばれていた。
山縣はいら立っており、川路は額に汗をかいている。
山縣は言った。
「残念ながら福岡の師団が島原へ向かうことに決定した。」
川路は驚いた。
「何故です。西南の役から後、国内の沈静化には警視庁が全力をあげて――」
「川路君。君は第一の殺人、第二の殺人という言い方を知っているかね。」
「はあ。用語としては存じております。」
「この天草翔伍という男、飛天御剣流の使い手だそうだが、彼の第一の殺人、すなわち政治家の粛清には警視庁は及び腰だったな。それは彼が飛天御剣流の使い手だったからかね。」
「だ、断じてそんなことは。」
「しかし維新の礎を築いた剣のひとつとして、そして先の志々雄真実の一件で、あの剣は正義の剣であり天誅であるとの見方が、すでに成り立っているらしい。―――そして今度の蜂起で、第一の殺人のことは忘れられていく。」
川路の面に険しいものが走った。
「では、この天草翔伍という男、たいしたくせもので―――。」
山縣は机をたたいて叫んだ。
「なぜそれを陸軍兵部省の私が口にせねばならん!この男を阻止できなかった理由をはっきりと言ってもらいたい。」
斎藤は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
軍関連のことを洗っていたとは、いかな斎藤でも言えたものではない。
川路は答えた。
「たしかに警視庁の力不足でありました。」
山縣は言った。
「下がりたまえ。君たちの用はすんだのだ。」
ドアを出て、川路は斎藤に言った。
「斎藤君。東京の事件も大変だというのに、島原の件はもう軍にまかせるよりほか、無理だ。」
斎藤は答えた。
「最初からそれはわかっておりました。そもそも軍の内部抗争に端を発しておりまして。」
「それだけではあるまい。山縣先生は政治家暗殺の件を嘆いておられた。斎藤君、この敵はそうとう腹黒いぞ。」
川路はそう言うと、斎藤を後に残して足早に廊下を立ち去っていった。
斎藤は歯噛みした。
「ちっ・・・・・あちら立てばこちら立たずか・・・・・!」
斎藤なりに、計算していたのである。
前の志々雄真実の事件の時、明らかに軍疑獄級の一件だったにもかかわらず、軍はこれを黙殺した。
彼が目をつけたのは、敵として潜入していた四乃森蒼紫の存在だった。
斎藤は身辺をさぐり、結論づけた。
―――こいつは軍の掃除屋だ。
斎藤は従って、考え得る限りの糸をつけて、蒼紫を島原へ行かせるようにした。
しかし志々雄の時と今回の結果は逆だ。
今回は軍が動く。
―――飛天御剣流への読みが甘かったのだ。
そして、その先は、斎藤には踏み込めえない闇が広がっていた。
―――政治か。
斎藤は剣心と道場で渡り合ったときのことを思い出していた。
あの大久保卿が一介の剣客の剣心に頼んできた。
元新撰組隊長としての、忘れ去った過去の古傷がうずいてくる。
そのことを考えるとき、斎藤の目には冷たい光があった。
―――この俺が表面変節をとげているのに、四乃森貴様が昔のままの動き方をすると踏んだことは浅はかだった。認めよう。
奴はあの天草翔伍を止めるだろうか。
斎藤は席に戻り、逮捕状をしばらくながめていたが、そのままにした。
―――単なる掃除屋ならば、ほっておけばいい。いずれ軍と合流する。貴様の正体、もう少し見せてもらうぞ。
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