第四章 恩寵

(一)


長崎市街には外人居留地と呼ばれる場所がある。
その海に近い一角を、一人の大きなすげ傘をかぶった少年が、小走りに走っていた。
と、彼はオランダ商館の前で立ち止まった。
「ここだ。」
手にした四つ折の封書と引き比べると、少年は洋館の扉を叩いた。
中から執事の者が顔を出した。
「誰かね、こんな朝早くに?君は―――。」
「これを御頭から渡すようにことづかりまして。」
少年は執事の持つランプの明かりの下で、泥だらけの顔で白い歯を見せて、ニッと笑った。
その時この館の主、オランダ領事官のエルステンと彼の旧友である医者のポンペが、たまたま階段を降りてきた。
「どうした?エイブラハム。」
「おかしな小僧がこんなものを持ってまいりました。表書きはたしかにご主人様の名前になっております。」
「どれ。」
エルステンは手紙を受け取り、中身を開いた。
中から流麗な文字が現れた。
「この手紙は外務省管轄できているな。書いた者の署名がない。君、待ちなさい。誰にこの手紙を受けたのだね?」
少年はすでに立ち去ろうとしていた。
エルステンの呼びかけに、彼は立ち止まり、一言答えた。
「シノモリアオシ。」
そう告げると、灰色の町並みの中に傘は消えた。
ポンペは思わず、手紙を見返した。
「四乃森蒼紫?まさか彼がこれを書いたのか。」
エルステンはポンペにたずねた。
「君はその者を知っているのかね?」
「維新の前だ。印象的な少年だったよ。彼はヨシツネと同じ芸当ができた。」
「ヨシツネ?」
「木の葉が地面に落ちるまでの間に、それを刀で全部裁断できた。彼はまだ人を斬って歩いているのか。」
「君はどうしてそう思うのか。」
「あのさっきの少年は背に刀を背負って歩いていた。十年前の彼もあんな具合でね。私が学問をするように、彼にすすめたのだ。」
「フム。」
エルステンはしばらく考えていたが、やがて執事に申し付けた。
「朝一番に馬車の仕度を。」

トップへ戻る  戻る  次へ