第三章   島原 下

(一)


雨が降っていた。
密集する灰色の瓦屋根り上に、天から細い雨が降っていた。
操は濡れ縁に座っていて、その手にはお手玉の袋が握られていた。
苦無は全部、翁が危険なので片付けたが、今でも操は包帯を巻いたまま、苦無をしまったあたりを探そうとする。お手玉は、その代わりだった。
お近が操に声をかけた。
「操はん、そこに座ってはると濡れますえ。」
「大丈夫か、操。」
翁が操に軽く手をかけた。すると操はいきなり、その手を振り払った。
「いや。」
「な――なんじゃ。」
「翁、操はん今日は気が立っとるんです。」
「しかし、わがままになってきとるぞ。ワシの言う事を全然聞かん。」
「目が見えへんのどす。目あきの人には、わかりまへん。」
お近はそう言い、操の手を取ってゆっくりと立ち上がらせた。
「操はん、翁も心配してはるのどす。優しうしてあげんといかんわ。」
「うん・・・・・。」
操はかすかにうなずいたが、その表情は硬かった。
部屋に戻ると、お近とお増が操の目の包帯を取り替えて、その黒髪をほどき、櫛を使ってまた結直した。
と、操がつぶやいた。
「お近さん。」
「なんどす?」
「黒さんも白さんも、家にいるよね。蒼紫様は独りでまた何処かに行ったの?」
「はあ・・・・そうどすなあ。あのお方はやっぱりもう、御庭番衆とはちがうみたいやさかい。操はんの事も、兄弟のように思うてはったんでしょう。」
「私あの時、ついて行けばよかったのかな。」
「あの時?出て行かはった時の事どすか。それは操はん、目が治ってへんのやし。」
「違うわ。薫さんは何があっても緋村を信じていたじゃない。緋村がたとえ、人斬り時代の流浪人に戻っても、東京から着いてきたじゃない。だから、私も、翁やみんなを捨ててでも―――。」
「操はん、それは―――。」
お近は言葉を失った。が、思いなおしてきっぱりと答えた。
「あの、翁と蒼紫様が殺りおうた時のことは、早う忘れはった方がよろしいどす。翁は操はんをここまで育ててくれた、大事な恩人どす。それを、そないに言ったらあきまへん。それに剣心さんは優しいお人やさかい、ああして人がついてきはるのどす。百三十八針も縫うようなケガさせはった時の蒼紫様とは。」
「同じよ。」
操は何かをつきはなすように言った。
「緋村は抜刀斎だったんだもの。昔あんな風にたくさん人を殺してきたんだもの。」
「操はん・・・・。」
「翁は私を大切に育ててくれたけど、それは私が先代御頭の孫娘だったからよ。もう目が見えないから、何の役にもたたないし。」
操は顔に自嘲の笑みを浮かべていた。
お近は答えた。
「操はん、それは言うたらあかん事です。それに蒼紫様かて操はんが、先代御頭の孫やったさかいに、あんな北陸まで行って拾わはったんでしょう。そんな考えでは、治るもんも治りません。」
お増がお近の袖を引いた。
「お近はん、ちょっとキツイどすえ。」
「いいのや。病人さんのワガママやさかい。」
お増は心配気だったが、お近について部屋を出て行った。
操は独り、布団に座っていた。と、ポツリと涙がお手玉の上に落ちかかった。
「・・・・・ふ・・・・・。父さま、母さま・・・・・あたしもう、死にたい・・・・。」
青い夜のとばりが、部屋に静かに下りてきた。

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