(六)

「ここだ。」
庄三がさっきの潮のたまっている武器庫の木の蓋をはずした。奈落へ通じる暗黒の道が見えた。
「ここは抜け道になっている。傀王らの居場所の館までつながっているんだ。四乃森さん?」
「なるほどな。」
辰政が横から言った。
「おい、そんな危険なマネ俺はごめんこうむるぜ。どうせ軍や警官隊の連中が来るんだろ。そいつらにまかしときゃいい。」
蒼紫は言った。
「辰政。奴を退治するように俺に言ったのは、おまえだろう。斎藤もそう望んでいるはずだ。」
「ケッ、もう斎藤のことなんざどうでも…。」
「俺はそうはいかない。奴は葵屋をつぶしてもいいと考える冷酷非情な男だ。おまえも覚悟して帰ったほうがいい。奴の信条は悪即斬だ。」
蒼紫はそれだけ告げると、先に降りて行った庄三と小夜の後を追った。辰政は憮然としていたが、やがて決意して後を降りた。もはや捨て鉢な気持ちである。それでも前を行くのが元御頭で、自分も腕に覚えがある事が、この男を支えていた。
―――しかし斎藤がそういう奴だっていう、こいつの目の方が確かなのかねぇ。
もし蒼紫の言う通りだとすれば、斎藤一というのはとんでもない男だ。
―――軍部については予測もできねぇくせに、俺をはめやがった。奴は志々雄真実の事件についての手柄話を俺に語っていたが、そもそもその軍艦や製錬所はどう考えても軍関係じゃねぇか。奴は自分がなんとか取り押さえたと語っていたが―――そしてこいつはどこかで軍部とつながっている。軍部と警視庁のイタチごっこか。
辰政の頭の中で、謎がぐるぐると渦を巻いた。
―――こいつは緋村抜刀斎を倒すために、志々雄真実側についた。それだけじゃねぇのか―――しかし今回の件と。
似ている気がするのである。何故そう思えるのかまでは、辰政にはわからないでいた。
―――でもどうせ一人で動いてるんだ。たいした後ろ盾じゃねぇ。斎藤を今コケにしやがったが、逮捕状とられてんだ。結局今もそいつのせいで動いてんだからな。こいつの動く理由なんてそんなモンだ。
と、ずい分隋道を歩いた時だった。庄三が立ち止まって言った。
「ここです。この扉の向こうに―――。」
と、手をかけようとした時だった。
「ご苦労だったな、ロレンゾ。いよいよ最期の時という事でそのお嬢さんを我々のもとにまでお連れしてくれたのかね。」
重々しい男の声が響き渡り、重厚な装飾の扉がゆっくりと開いた。庄三は開いた中を見て息を呑んだ。いつもの廊下ではない。
「な――なんだ。この空間は。」
「ホホ、いつもと違うでしょう。さっき犬を使う音がしたから、翔伍が最後の掃除をしているのがわかってね。」
「こちらからお迎えにうかがおうとしていたのだが、ネズミが入り込んだとあって遠慮した。」
扉の中はずい分広い洞窟の空間があった。大講堂のようなその広間の向こうに、高い段があり、そこにマントにつつまれた傀王と彼につき従う者が数名立っていた。しかしひときわ目を引くのは、うす暗い照明の下に浮かび上がった、高段の後ろに描かれた油彩の額縁画だ。キリスト受難の図のようだが、不遜にも顔が小夜の兄の翔伍に似せてあった。
「―――お兄さま!」
小夜が叫んだ。傀王が答えた。
「これは特別にそなたの兄君の為に画家に描かせたものだ。気に入っていただけたかな。翔伍がこの地で天に召されれば、それなりに意味がある絵になるのだが。」
傀王に従う朧が答えた。
「それも天草翔伍の心がけ次第という事かしら。どうせあの男はこんな所では死なないわ。傀王様、この絵の下であの女をひきむしってやるんでしょ。」
「仮にもキリスト者である私に、そんなマネはできないだろう。朧。」
「はい―――。」
戦闘服に身を固めた朧は、そばの者から巨大な槍を受け取り、傀王に渡した。
「まずは裏切り者を罰さねばならん。ネズミを殺し、それからあの女だ。」
「庄三…。」
小夜は脅えて庄三の影に隠れた。蒼紫が傀王に低い声でたずねた。
「おまえが傀王か。何故天草翔伍に手を貸した。」
「何故?友愛の精神だ。私はああいった若者は好きでね。」
「それは近代的功利精神だろう。」
傀王は蒼紫の言葉に、皺のある顔で破顔した。
「んん?何の事かな?私はもうすぐここを去るので、記念にいろいろと計画を立てていたのだ。あの廃棄処分の品もそれなりに役に立ってくれそうだし、最新式のものもその効用を世に知らしめる場をこうして得る事ができた。いやこれは、天啓というものかな?天草翔伍の神への祈りが天に通じたのだよ。神のなさる事は、すべてムダというものがない。」
小夜は喉をふるわせ、息も絶え絶えに叫んだ。
「あなたの言葉は、神を冒涜しています!」
朧は冷たく答えた。
「そうかしら。天草翔伍はあなたみたいな妹がいなければ、私たちにも近づかなかったんじゃないの―――あの男こそ偽善者よ。神を利用しているのよ。」
「ちがうわ!兄はそんな事―――。」
「とにかく、あの男もあなたのおかげで、それなりの信者を獲得できたのだし、役には立ったみたいだわね。」
傀王が言った。
「朧よ、そういじめるものではない。彼女はまさしく聖女だからな。そして我々には死後まさしく、地獄の苦しみが待っておる。人は争いという原罪から等しく逃れられんのだ。」
その時蒼紫が凛とした口調で傀王をさえぎった。
「しょせんは志々雄真実と同じ輩か。下らぬ。」
蒼紫の顔は陰になっていて、傀王らからはよく見えなかったが、その鋭い目が闇の中で光っているのが見えた。あまつさえ、抜刀していた。傀王はささやいた。
「朧よ、あの者もう抜いているぞ。」
「これはこちらに好都合―――おまえ達お殺り。とんだ単細胞ね。」
と二人が言った時、闇を飛ぶ怪鳥の如き影が俊速でこちらに迫ってきた。影は一気に高段に飛び移り、急速で刃を閃かせた。
「なにッ。」
傀王は槍で受けた。
「青二才めが!」
傀王を守る為に、部下が新たに現れた。
「あいつ、さっきまでとちがう―――。」
庄三が言いながら、あわてて銃を構えた。蒼紫が阿修羅の如く傀王らに襲い掛かっていた。思わず辰政が叫んだ。
「御頭、そいつはまずいって!」
言いつつ剣を引き抜いた。辰政には大鉄斧と鉄球をぶら下げた男が襲い掛かってきていた。
―――あの野郎、人間が変わりやがったか。
傀王やその部下と斬り結んでいる蒼紫の恐ろしい形相が、一瞬目に飛び込んだ。いつもは明晰さを好むたちなのに、この豹変の仕方が辰政にはわからないでいた。
―――たしかにこいつらは悪だろうがよ。冷静な判断が必要な時は今じゃねぇのか。
傀王の部下は数十人ほどおり、そのうちの一人の骸骨のマークを身体につけた男が天井にまで飛んだ。何か糸のようなものを動いている蒼紫に向かって投げた。
「言わんこっちゃねえ。」
辰政は鉄球をよけながら、つぶやいた。蒼紫の体が床にまでひきずり下ろされた。が、天井の男もそこへ落ちてきた。
「うわっ。」
待ち構えていた小太刀が、男の体を貫いた。
蒼紫は身をかがめ、刀身を地をけずるほどにまで斬り下ろして、男の体を寸断すると、次の者へと飛び掛った。
小夜が庄三の後ろで真っ青になっていた。
「庄三!あの人…。」
「わかっている。ここから逃げるぞ。もうごめんだ。」
庄三が数発傀王らに向かって発射した。
「ピストルを使うな。」
蒼紫の声が飛んだ。その腕は傀王の部下数名を一閃でなぎ払っていた。赤い鮮血が舞う中で、蒼紫は少しのためらいもなく斬り進んで行く。
「その者を撃て!」
朧が叫んだ。傀王の部下達が、下にいる部下に構わずに銃で乱射した。が、倒れたのは部下達だけだ。朧は息を呑んだ。
「―――奴はどこへ?」
鉄球を振り回す大男と辰政は戦っていた。辰政は力に押されている。と、その時不意に目の前に蒼紫の影が現れ、大男と空中で一瞬すれ違った。
「げッ。」
辰政は大声をあげた。大男の胴体が骨まで見せて、血を振りまきながら、斬られて地面をころがった。蒼紫は目もくれず、また傀王らの所へと肉迫して行く。修羅の地獄絵が地底に展開された。
―――ひでぇ。容赦ってモンがねェ。こいつは前からこうだったか?
見ている辰政の顔が引きつった。あの幕末の頃、任を解かれる以前の、まだ少年だった蒼紫でも、こんな調子では―――いやあの頃はその肩に御公儀の重圧がのしかかっていたのだ。同様の修羅場もあったのだが、蒼紫にはまだ若者らしい呵責というものがあり、辰政などはそれでずい分バカにしていたのだった。しかし今の様子は―――。
―――水を得た魚じゃねぇか。さっきまでは戦わされているってツラだったのによ。こいつは血に酔うタチじゃなかったハズだろ。
なおも殺陣の中心で血刀をふるい斬り崩す蒼紫の横顔に、不敵な笑みさえ見え隠れしているのを見て、辰政はゾッとなった。
高台の朧は乱闘を見つめているうちに、ケリがつきそうにない事に焦りを感じ始めていた。その上、ロレンゾ庄三までもが拳をふるい、この場から小夜と逃れようとしているではないか。朧の眉間に険しいものが走った。
「傀王様、最後の手段のお許しを。」
傀王は戦っている蒼紫を見下ろし答えた。
「よい。なかなかの手の者であった。」
「では落とします。マグダリヤも死にますが。」
「フフフ、事故死だ。翔伍にはそう言う。奈落はああいった者にはふさわしい死に様よ。」
傀王はマントをひるがえすと、高台の奥に消えた。朧は高台の中ほどの壁にある鉄鎖を思い切り引ききると、やはり身をひるがえして数名とともに逃げた。かすかな地響きがドームの天井から聞こえ初めていた。
「―――!」
蒼紫は気配を感じて上を仰ぎ見た。と、傀王がいないのを見てとると、一瞬にして悟った様子で、凄まじい形相に変わった。
―――はかられたか。この程度の罠を見抜けなかったとは。
その目は傀王の立っていた後ろの、天草翔伍の画布を刺すように見つめていたが、その頭上に大きな音を立てて岩は落ちてきた。

落盤。すべては闇に変わった。

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