(三)

その日の昼前、海岸線を走る二人の男達がいた。辰政と猩々だ。
「居やがらねぇ。くそッ、先に行きやがったか。」
「だから怒らせない方がいいと言ったんだよ。」
「でもだいたいわかるぜ。行き先もひとつしかねェ。島原だ。」
辰政は蒼紫の姿がいないので、あわてて探しに出ているのである。ここで猩々は立ち止まって言った。
「辰政はさ、御頭が維新の頃からあんまり変わってないと思ってるかい。」
「そりゃどういう意味で言ってんだ?」
「斎藤のダンナの話だと、回転剣舞六連できるって。あれは先代御頭しかできなかったんだよ。」
「でも飛天御剣流に破れたんだろ。そんでよ、今度の敵の中にもそいつが使えるのがいやがるんだと。斎藤はあいつをブッ殺したがってるな。」
「うん。自分の手は下さずにね。それで少々人が死んでもいいんだ。」
「おまえうまい事言うじゃねェか。まァ俺達は見てるだけだしよ。ヤバくなりゃ逃げりゃいいんだ。」
「でもむずかしくなるかも知れないよ。だって敵、強いんだろ。それに御頭は朝猛練習していたし。」
辰政は猩々の首をつかまえてどなった。
「てめェッ、見てたんじゃねェか!奴がどこに逃げたか教えろッ!」
「なんだか御頭の顔見てたら逃げたしたくなっちゃって…。」
「てめェ………いいか。奴の死に際を微に入り細に入り斎藤に語れねぇと残りの金払ってもらえねぇんだぞ。」
「その金がどこから出てんのか、辰政は考えた事ある?」
パッと猩々は辰政から離れた。手にした錫杖を振るとたちまち三節昆に変化した。
「あってめぇ。」
「うん。ちょっとやってみようかと思って。昨日ちょっとバカにされたし。」
「なんでてめェとそんな事やんなきゃなんねェんだ。猩々、おまえ昔よりボケたな。来い、どっちが上か教えといてやる。」
「本気で行くよ。」
辰政は腰から刀を引き抜くと、猩々の三節棍を次々にかわした。
「てめぇなんざ敵じゃねぇんだよ。」
と、辰政が言った時、猩々はヒラリと宙返りをし、今度は背中から山刀を引き抜いた。
―――とその時。
「やめろ。」
蒼紫が岩の上に姿を現していた。
「あ、出てきたね。よかったね辰政。」
「てめぇなんのつもりで………やいッ、四乃森!貴様俺達をからかってんのか。それとも見張ってでもいたのかよ。」
「そんなヒマはない。島原の状況を見て回っていた。」
猩々は言った。
「ほらね。そうだと思ったし。」
辰政は刀を納め、ひとりごちた。
「なんで戻ってきやがったんだ。」
蒼紫は答えた。
「俺を逃せば責任を問われるのだろう、斎藤に。あと、そういう事になっている気がしてな。」
猩々は蒼紫に言った。
「なんか見つかったんだね、島原で。」
蒼紫は答えた。
「秘密の集会所を見つけた。同行してもらいたい。」
辰政は蒼紫にどなった。
「え、偉そうにぬかしやがったな。」
蒼紫は言った。
「なるほど。その点についてはあまり知らされていないのだな。奴がそこにひそんでいる可能性があるからだ。」
「奴ってのはなんだよ。」
「飛天御剣流の使い手。俺が倒さねばならぬ相手だ。」

                                    †
『うるわしの白百合  ささやきぬ昔を
イェス君の墓より   いでましし昔を

うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
百合の花、百合の花 ささやきぬ昔を

春の会う花百合  夢路よりめさめて
かぎりなき生命に  咲きいずる姿よ

うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
百合の花、百合の花 ささやきぬ昔を

冬枯れのさまより 百合しろき花野に
いとし子を御神は 覚したもう 今なお

うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
百合の花、百合の花 ささやきぬ昔を』

一人の美しい少女が、背の高い若者にともなわれて、小鳥の如く、縁台の上で人々を指揮し、唄っていた。
そして、見よ―――美しき天然の水がその腕からこぼれ落ち、水盤の中にたたえられていくではないか。人々は「御神水じゃ」とざわめいた。
「みなさん。これは潔めの水、聖水であり、主イェス・キリストの慈悲の涙なのです。主はあなた方とともにいます。アァメン。」
少女はひときわ声を張り上げた。丈の長い上品なベールのついてローブ付きのドレスを身にまとっている。はしばみ色の瞳、栗色の髪にはウェーブがかかっており、あらゆる挙動に品格と威厳と、そして愛を一身に受けて育った者が持つ、おおらかな高明さが感じられた。
蒼紫は辰政らとともに、最後列の人々の陰からそれを見ていた。辰政は「きれいな女だなァ」とあごをなでて見入っていた。蒼紫は鋭い目つきで見上げている。猩々は何も言わないでいた。―――と、辰政が横目で蒼紫に向かってささやいた。
「よう。ああいう女が好みなんだろ。ありゃあ生娘だぜ。」
蒼紫は答えた。
「残念だが、敵の女だ。」
「残念ね。正直でいいな。」
やがて会合が終わり、人々が三々五々に帰って行った後、蒼紫はコツコツと靴音を響かせて、洞窟の真ん中へと近づいた。少女と若者が礼拝道具を片付けている。若者が気づいて叫んだ。
「なんだお前。村の人間じゃないな。」
蒼紫はコートに手をつっこんだまま答えた。
「今の聖歌はプロテスタントの聖歌だな。この集会はカソリックと聞いたのだが。」
ガッシャーンと少女の手から燭台がすべり落ちた。色をなして震える少女を見て、若者は蒼紫に詰め寄った。
「なんだ貴様。俺たちに難癖つけようってのか。」
蒼紫は片頬で笑って答えた。
「しかし、その女もその事は知っているようだぞ。天草四郎時貞の遺志を継ぐにしては、少し無理があるのではないのかな。」
若者は叫んだ。
「マグダリヤ様を女呼ばわりするな!貴様政府の犬だな!」
「庄三!」
少女が止める前に、庄三と呼ばれた若者は、蒼紫に殴りかかってきた。猩々があわてて出てきて言った。
「何をやっているんです。早くそいつらをつかまえて―――。」
「貴様は黙っていろ。」
蒼紫はすでに徒手で庄三の拳を受けはじめている。
「てめぇ、できるなっ!」
「庄三やめなさい!」
と、蒼紫と庄三が拳で渡り合っていると、辰政が少女の背後にいつの間にか移動していた。少女が抱きすくめられて叫んだ。
「何をするの!」
辰政は少女の胸をさぐりながら言った。
「そう邪険にしなさんなよ。妙な会合開いてたよなぁ。」
「あれは礼拝です。」
「気が強い女だなあ。お、何だこの首飾りは。」
辰政は昔の盗賊の頃の手癖の悪さが、治らないのだった。少女が「いや」と身をよじると、蒼紫が叫んだ。
「辰政!よせ!」
「ヘッ、いたたぎさ。」
「返してください!」
辰政が少女の胸からメダリオを取り上げていた。庄三が叫んだ。
「てめェッ!」
庄三が向かってくるのを叩き伏せると、蒼紫は辰政に向き直った。
「辰政。」
猛然と向かってくる蒼紫をからかうように、辰政はペンダントを猩々に向かって投げた。猩々はあわてて受け止めた。
「ほれよ、受け取れ。おい、遊んでねェでさっさとこいつらをつかまえなよ、御頭さん。」
「話をするつもりだったのだ。」
「そんな風には見えなかったけどな。」
その時庄三が少女―――マグダリヤの手を引き、ダッと洞窟横のほら穴に向かって駆け出した。
辰政が叫んだ。
「逃げやがったぞ。」
猩々も言った。
「言わんこっちゃないよ。」
「仕方がない。追うぞ。」
蒼紫は言うと、彼らの後を追った。ほら穴はくねくねと道が曲がっており、途中二手に別れていた。辰政は言った。
「どっちに行きやがった。」
蒼紫は答えた。
「右だな。」
猩々は言った。
「よくわかるね。」
「しかし左に行ってみよう。」
「あぶねェんじゃねェのかい。」
「火薬の匂いがする。」
三人は用心深く降りて行った。御庭番衆ならではの度胸である。
「人間はいないようだな。」
蒼紫はポッカリと巨大な口を開けた空間を覗き込んだ。船便の積荷が置いてあった。辰政は積荷を見回して、言った。
「いわゆる密輸品か。簡単な事件だったなあ。さ、あとはヤバい使い手をあんたが始末すりゃあいい、と。」
蒼紫は答えた。
「これをこんな所に置いておくところを見ると、蜂起は近いな。来るのが間に合ったようだ。」
「誰が蜂起するんだ。」
「今の村人達だ。」
「あいつら人畜無害な様子だったぜ。」
「あやつっている男がいる。そして―――ここにこの積荷を置いた奴はその男に協力的ではない。」
「どうしてわかる。」
「猛烈な湿気だ。下層部に置かれた三分の一は使い物にならん。ここは海とつながっている。」
蒼紫はほら穴の奥を見た。行き止まりだが、木で頑丈な蓋がしてあった。
「どうする。降りてみるかい。」
「戻ろう。」
辰政はあきれたように蒼紫に言った。
「いやなまってるね、すっかり。昔のアンタなら見に行ったと思うけどな。」
蒼紫は辰政に無言で道を戻り、さっきの集会所の所まで来た。
「おい、どうするよ。これから。奴ら逃げちまったし。」
「ここに張り付くしかない。今から手紙を書く。猩々、それを俺が書いた宛先にまで持っていってもらいたい。」
「なにぃ。」
辰政が目をむいた。
「てめェ、半分囚人の分際で、俺達を使おうってのか。」
「貴様には頼んでない。猩々、出てきてくれ。」
大きな傘がおずおずのろのろと、前に進み出た。
「御頭、俺は御頭を見張れって言われてるんだよ。」
「辰政一人で十分だ。人の命がかかっている。おまえの命もだ。」
「おい、勝手に決めんなよ。」
蒼紫はいつもより優しい口調で猩々に言った。
「ここにい続けるよりは安全な仕事だ。渡したらまた戻ってくればいい。」
猩々の傘が上に向いた。
「本当?俺それならいいよ。」
辰政が言った。
「猩々、てめェ。」
「悪いね。俺、生きて山に戻りたいんだよ、辰政。」
「じゃあ報奨金は俺が全部もらうぜ。それでもいいのかよ。」
「……いいよ。」
蒼紫は集会所の机で手紙を書いた。その落ち着き払った行動ぶりに、辰政はイライラした。
―――なんでこいつはビクビクしねェんだ。あやつっている男、そいつが飛天御剣流の使い手じゃねえのか。
辰政の勘は半分は当っていた。

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