「月の桂」
第一章 偏在                       (五)

「坊主、その金目の物をこっちに寄越しな。」
「断る。」
「なに?てめぇナマ言ってんじゃねーぞ。」

三蔵は気がつけば、大勢の男たちに取り囲まれていた。
やはり、妖怪ではないが、男たちがならず者であるのはすぐにわかった。
三蔵の所持している銃や、金品を狙って集まって来ているのだ。
このような追いはぎは、妖怪への負の波動が強まって以来、多くなってきているとは聞いていたが、人間で会うのはこの時がはじめてだった。しかし三蔵は男どもを負けずににらみつけた。
――これは仏罰だ。死ね。
三蔵は銃を撃とうとしたが、やはり初心者の悲しさで、背後から男の一人に飛び掛られ、その手を押さえられた。ほかの男が威勢よく叫んだ。
「おいおい、早速のしかかりやがったぜ。」
「ひゃっほう、こいつはいいぞいいぞ。」
全員が野次を飛ばした。男の一人が喝采を叫んでいる。
三蔵は男に必死で抵抗した。爪をたてたりしたが、それはかえって男を煽る結果になったようだ。男が叫んだ。
「へへへ、手荒にやるぜ、こいつはなかなかの山猿だ。」
ビリッと音がして、三蔵の黒い法衣の裾が破れた。三蔵の白い脚が太ももまであらわになった。男の一人が、その動く太ももに釘づけになったらしい。
「おい、その小僧をこっちによこせ。」
ひげづらの大男だった。だらしなく目元がゆるんでいる。三蔵の上の男が言った。
「またそいつか。」
ひげづらは言った。
「へへへへ、こいつ女みてぇなツラしてっからよ。しっかり押さえてろよ。」
「へいへい、仕方ねぇな。じゃあまずあんたのデカいもので御開帳させてくださいよ。」
「その後おまえたちも楽しむのか。」
「ああ、死んでなけりゃな。」
「おめぇ、死んだほうが締まりがいいこともあるんだぜ。」
「えっへへへ、そうか。こいつまだ小さいからな。そうかも知れねぇ。」
ひげづらと男は交代した。三蔵の上にずっしりとしたひげづらの体重がのしかかった。
三蔵は男どもが野卑な冗談を言っているのを聞いていて、これから自分に何が行われるのか、漠然とわかってきた。三蔵のいた寺はもちろん女人禁制であったが、それが下級僧の間ではかえってこの手の猥談の入り込む温床ともなっていた。三蔵も師匠である光明の「稚児僧」であるとの噂がたっていることもあったのである。無論、三蔵と光明はそのような関係には少しもなかった。
従って、この時の三蔵の心境はただ、驚愕と恐怖のみであった。話に聞いていた、「犯される」ことが実際に自分の身に起きようとしている。それも最悪の形で―――。
三蔵の喉元に、刃渡りが5センチほどもあるアーミーナイフがつきつけられた。まだ三蔵は銃を握っていたが、腕は思うようにならないひげづらの腕の下にあった。
「さあ、坊主口を開けるんだ。おめぇのかわいい口で俺のものをくわえてみろ。」
「い・・・や・・・だ・・・・。」
「なんだと?できねぇってのか?とんでもなく高慢ちきな小僧だぜ。寺の小坊主なんてのは、みんな影で後ろの門じじいの坊主どもに売ってんだろ?俺は知ってるんだぜ。おめぇ、まさかやり方を知らねぇなんて言うんじゃねぇだろうなあ。」
三蔵は続けさまに激しくひげづらに顔をぶたれた。唇が切れて、鼻から血が染み出した。自分の意思とは逆に痛くて涙が出た。くやしかった。犯されるのも嫌だが、力で乱暴に屈服させられるのが、たまらなく不愉快だった。
男の手が三蔵の法衣をはだけた。黄色い歯で、ニヤニヤ笑っている顔が間近に迫ってきた。吐き気がした。
その時、男の一人が抑えている手に、少し隙ができた。このゲームに夢中になって、わずかに気を取られたらしかった。三蔵は手首をひねった。銃を素早く返して、さっきの男に言われた要領で撃った。瞬間、紫暗の瞳が燃えて、すさまじい気迫だった。
ガウン。
男の一人が叫び声をあげた。
「こいつ、撃ちやがった。」
三蔵にのしかかった男は、頭蓋骨から脳漿を飛び散らせて、目玉をぽろりとこぼした。三蔵は総毛立った。はじめて人が銃ではじけるのを見たのだ。それは身の毛のよだつ光景だった。男はガクン、と三蔵の上から地面に転がった。死んだ――死んだのだ、自分が殺したのだ。
しかし、躊躇している間はなかった。間髪を入れずに三蔵は周囲に向かって発砲した。
「て、てめぇっ。」
男たちが後ずさりした。男たちは頭をかかえて逃げ出した。
「おぼえてろよっ!」
捨てゼリフを叫ぶと、男たちは三蔵から遠ざかって行った。
三蔵の前には、ひげづらの死体が白い脳漿を流しながら伸びていた。三蔵はじっとそれと手に持つ銃を見比べた。
――俺が、殺した。
この銃で―――。
――私は、あなたにもそれを守れとは言いません。でも、あなたは大きな人生を歩むことになると思いますからね。
光明の言葉が脳裏によみがえった。
仏道は不殺生―――三蔵はそれを朝夕の勤行で、金山寺で叩き込まれていた。自分はたった今その殺生戒を犯した。
――お師匠様・・・・・俺は・・・・。
三蔵はその時、深い虚無感にとらわれていた。
旅の間中孤独だった。自分は結局、捨てられた小犬のように実は金山寺から放遂されたのだ。飲まず食わずで何日も歩かなければならないこともあった。
自分が今まで生きてこられたのは、自分の力だけではなかった。
こんな事を続けろと、寺の高僧は俺にあの時言ったのだ。俺に拳銃を渡すというのは、そういうことじゃないか。―――――。
三蔵の頭に突然、その言葉がひらめいた。

――俺は、いらない人間なんだ。

もともと捨て子だったんだ。俺なんかいなくなったって・・・・俺なんかを生かすためにお師匠様は大切な命を落としたんだ。俺が悪いからだ。俺が弱くて、どうしようもないから・・・・。

チャキ。

三蔵は自分の耳の上に拳銃の銃口をゆっくりと押し当てた。その瞳は何も映していず、もはや虚ろだった。三蔵の心は暗い虚無感に満たされていた。
そのまま引き金を引こうと指を曲げようとしたが、怖くて体が震えた。とめどなく目から涙があふれた。みじめだった。
こうやってこの地上の片隅で、人を殺して死んでいく俺を、御仏は憐れんでくださるのだろうか。もし天上に神がいるのであれば―――この俺を、この死の淵から救って・・・・・。

その時だった、あの男が現れたのは。
男はその大きな手で三蔵の手から銃を叩き落とした。
「よせ!」
三蔵は声もなくその場に倒れた。
「気になって、とって返してみたんだが・・・悪い冗談だ。死に急ぐなどとは。」
さっきの男が息をきらして三蔵の目の前に立っていた。
三蔵は泣きながら男に言い募った。
「だって俺・・・・殺したんだ。師匠も俺のために死んだんだ。俺なんか、いなくなったっていいんだ。」
「馬鹿!お前のために死んだんじゃない。誰だって自分の命は自分のものだ!その命を自分で奪うなどというのは、愚の骨頂だ。おまえは何のために生きているんだ。」
「じゃあ、俺は何のために生きているんだ。俺のために、みんな死ぬ。死んでいく。俺は疫病神なんだ。だけど・・・俺は自分をとめられない。俺が生きていくために・・・。」
「しっかりしろ。死にたいなんて思うな。さあ。」
男は中腰になり三蔵に背中を見せた。
「乗れ。私のキャンプまで背負っていく。」
三蔵はしばらく呆然と男の背中を見詰めていたが、やがてのろのろと男の背中に身を預けた。男の背中は固く、ごつごつしていた。三蔵は言った。
「あんたも・・・あんたもさっきの男たちのように・・・。」
男は三蔵を背負い、地面に転がっている三蔵の錫杖と銃を拾うと、吐き捨てるように言った。
「私がそんな事をするか!ああいう輩は私は大嫌いだ!」
その言葉を聞いたとたん、三蔵の両眼から涙があふれた。
「俺・・・怖かったんだ・・・・。」
自分がみっともないと思う気持ちもあったが、三蔵は声を殺して肩を震わせた。誰かにこの自分の辛さをわかってほしかった。男は気の毒そうに言った。
「・・・・もう泣くな。お前の後ろに倒れている男は、天罰を受けたんだ。そう思うんだ、ボーイ。」
「あんた、名前は?」
「私の名前は・・・そうだな、ゼロとでも名乗っておこう。『無』という意味だ。インドの天竺でバラモン僧たちは『無』の概念を知り、それが私のいた国にまで伝わった。仏教は偉大な教えだ。お前の殺した男も今『無』に帰った。『無』とは何もない状態だが、これから何かが生まれ出る状態でもある。それでいい。そう思え、ボーイ。」
三蔵は男の背中の上で無言で涙を流した。男の声は低く、その教え諭すような言葉は三蔵には確かな響きとして伝わってきた。それはあの優しかった三蔵の師光明にも、三蔵が見出しえなかった何ものかであった。





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