「月の桂」
第一章 偏在                       (四)

それから三蔵は旅に出た。
時々古寺に宿を借り、信仰心の篤い民人の世話になりながら、三蔵は錫杖を手に歩いた。
ふところには、金山寺を出る時に手にした短銃が一丁しまわれていた。
金山寺の高僧は三蔵に言ったものだ。
「下界にはどんな妖怪がいるかわからぬ。どれでも好きなものを持っていきなさい。」―――
三蔵は寺の書庫にこのような猟銃や機関銃がたくさん所蔵されていたことに、あらためて驚いた。
もしかして、光明はこの事も知っていたのかも知れない。
しかし、光明はその事を三蔵に告げたことはなかった。
およそ暴力的なこととは、三蔵の目には光明は無縁に生きていた。
三蔵は壁に並んだ銃の中から、銀色に光る短銃を選び出した。
Smith&Wesson―――銀色の筒先に、その刻印が光っていた。外国製のものらしい。
「やはりこれは、西から?」
三蔵の問いかけに高僧は答えなかった。三蔵は言った。
「俺、これがいいな。」
三蔵はそのピストルを手に取ると、確かめるように手のひらに当てた。ぴったりだ、三蔵の手のひらサイズだった。あつらえたように、その銃は少年の三蔵の手になじんだ。
―――この銃なら、すぐにこめかみを射抜ける。
三蔵はそう思った。
自分が光明の死に泥を塗るような失態をしでかした時には、迷わずにこの銃で額のチャクラを撃ちぬける。
そう思うと、三蔵は嬉しくなったのだった。
――俺の覚悟のような、もの、だ。
俺は俺以外の何者も信じない。そして俺自身のやり方で生き抜く―――。
三蔵は人生の早い時期で、そう己れの信条の決意を固めていた。
誰に言われたものでもなく、三蔵が自らそう望んでいたことであり、それは誰にも止められなかった。
そしていよいよ寺を出る時、僧侶の黒衣に身を包んだ三蔵の肩の上に、布で見えないように高僧は「魔天経文」の経文をかけた。
ずしり、と肩が少しも重くないのに重く感じられた。
これを守るためにお師匠様は―――そう思うと、肩の上に荷がかけられたようだった。
「では、行ってまいります。」
一言そう言うと、三蔵は金山寺を後にした。片手をあげると、後も見なかった。
托鉢僧の身なりで、三蔵は山道を今歩いている。
と、滝があった。
三蔵は一休みするために滝壷のそばに腰をおろした。
寺を出てから、まだ肩の「魔天経文」を狙う妖怪には出くわしていない。
妖怪たちは、高僧らの話によれば、最近凶暴化しているという。
「牛魔王の蘇生実験のせいらしい。」
とだけ、三蔵は知らされている。しかし、誰がどんな目的でそうしているのかは、まだ三蔵は知らなかった。
と、滝壷のそばに、椎の木の切り株が立っているのが見えた。
ほんの出来心だった。
――試し撃ちしてみるか。
まだ三蔵は銃を撃つような危険な事態には遭遇していなかった。たとえ一度も撃ったことがなくても、使えるさ。――そうたかをくくっていたのだが、それは考えれば危険なことだった。
三蔵は立ち上がると、椎の切り株に向かってピストルを一発発射した。
ズギューン。
木立の中に銃声が響いて、森の鳥たちがばさばさと驚いていっせいに飛び立った。
銃は小さいくせに、思ったよりも反動が強かった。弾は三蔵の目がけた的から見事にそれた。三蔵は軽く舌打ちした。
「チッ。」
三蔵はたて続けに二発撃った。腕がしびれた。こんなものが当たらないなんて、と思った。
あまりたくさん弾を浪費したら、また何処かの露店商で弾を仕入れなくてはならない。
そう思ったが、当たらないようでは話にならない。
そのまま続けて撃った。見る見るうちに五発全部を使い切った。
バラッと薬きょうをリボルバーから落とし、三蔵は次の弾を僧衣から取り出して注意深くこめた。
―――次は絶対に当ててやる。
と、その時三蔵の背後に立つ人影があった。

「坊主、そうして撃つんじゃない。もっと脇をしめないとな。」

ザッと音を立てて三蔵は反射的に後ろを振り返った。男だった。耳元を目ざとく見る。
―――妖怪じゃない。
男は角のような耳ではなく、普通の人間だった。三蔵は思わず小さく安堵した。
「誰だ、あんた。」
「名乗るほどのもんじゃないが、子供が撃つもんじゃないし、坊主が撃っていいもんでもないな。」
男は背が高く、頭に見慣れない形の帽子をかぶっていた。カーボーイハットだと後にわかる三蔵だが、その時はわからず、直感的にこいつは「西」から来たヤツだと思った。黒髪で目が青かった。そして頬に古いギザギザの傷が斜めにあった。
――異国から来たヤツか。
三蔵は思い、男に銃を向けた。
「帰れ。あんたには関係ない。俺には俺の理由があって、今銃を撃った。」
「なるほど。しかしそんな撃ち方で撃たれちゃ困る。貸してみろ。」
お節介なヤツだ、と三蔵は思い、どなった。
「なんであんたなんかに、俺がかまわれなくちゃならねぇんだ!」
と、三蔵が思う間もなく、男は三蔵の後ろに立ち、優秀な先生のように三蔵の腕の上に両腕を上から重ねた。太く、がっしりした腕だった。男は三蔵に言った。
「もっとしっかり握れ。撃つ先をよーく見るんだ。ただの切り株だな。最初はそれがいい。人間だと思うな。切り株の上にリンゴが乗っていると思うんだ。」
「リンゴ?」
「ウィリアム・テルは自分の息子の頭の上のリンゴを撃った。そう思うんだよ、ボーイ。」
「うるせぇ。」
三蔵が言うと、男は厳しい声で叱咤した。
「男なら無駄口をたたくな。しっかりと構えろ。劇鉄の上を目標に重ねて狙うんだ。」
三蔵はむかっとしたが、男が自分をどうこうするつもりはなく、本当に教えるつもりらしいと思うと、素直に従った。実はなんにも知らないのだ。
「よし今だ。撃て!」
男が言った瞬間、三蔵は引き金を引いた。
轟音が走った。今度は銃は切り株の上に見事に命中した。三蔵は自然と笑みがこぼれてつぶやいた。
「やった。」
男は三蔵の肩を軽くたたいて言った。
「ビギナーズ・ラックってやつだ。しかしその調子でがんばれ。そうだな。最初は空き缶か何か目印の目標を置いて、練習するといい。」
「あんた、親切だな。」
三蔵が言うと、男は肩をすくめたように言った。
「おいおい、今頃私に礼を言うのか?さんざん俺に向かって憎まれ口をたたいた後でか。まったくボーイは礼儀ってものを知らないな。それにしても僧侶の子供がピストルを撃つ姿はここに来てはじめて見たよ。まったく、東にはいろんなものがある。」
「なんだそのボーイ、ってのは。」
三蔵が尋ねると、男はははは、と明るく笑って答えた。
「小僧という意味さ。」
「なんだとっ。」
「怒るなよ。私のいた国の言葉なんだ。しかし君はまだ少年じゃないか。」
そう言うと、男は軽く口笛を吹いた。林の木立ちの中から、一頭の馬が現れた。寺院で馬の世話をしたこともあった三蔵は、ひと目でわかった。馬はよく飼いならされていた。男は馬にまたがった。男は馬上から三蔵に言った。
「ではボーイ、殺傷はほどほどにな。坊主が銃を撃つのは、やはりあんまりいいことじゃない。まあ危険な輩にも出会うだろうがね。では、アデュー。」
男はさっそうとギャロップで林の中を駆けて行った。
「なんだ、あいつ・・・・。」
――変なヤツ。
三蔵は思った。しかし、銃がうまく撃てたのだから、いいヤツだったのには違いない。
「よし。がんばるぞ。」
三蔵は手の銃を見て、一言つぶやいた。
なんだか今日はついてるみたいだぜ。―――そう思った三蔵だった。
銃を腰におさめると、錫杖を手にし前に歩き出そうとした、その時だった。林の茂みからダミ声がした。

「おい坊主、いい銃持ってるじゃねぇか。」


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