「月の桂」
第一章 偏在                       (一)

「月も笑っていやがる。」
悟浄が苦笑いをしながら、焚き火にかけられた、フライパンを覗きこんだ。
「こんな夜はよ。そうだと思わねぇ?八戒。」
「まあ・・・そうですね。」

今夜は野宿だった。
ジープがガス欠で動けなくなった――空腹で、である。ジープは竜の姿に戻って、丸くなっていた。
三蔵一行もご同様―――先の宿場で八戒が買っていた、缶詰やパンのお世話になることになったのである。
一行の真ん中には小さな焚き火がある。
薄い紫の煙が月夜の夜空に一本のぼっていた。
それは静かな夜だった。
フライパンの上では、缶詰の干し肉がジュージューと煙をたてて焦げている。
まことにひもじい――しかし、仕方がない。
彼らは今「西」に向かって旅をしている。
それは「あてのない」ような、しかし目的はあるような、漠然とした旅であった。
八戒がフォークの先で肉をつついた。
「もういいようですね。悟空、お皿を出して」
八戒が男にしては器用な手つきで、フライパンの上のおかずを取り分けていった。
しかし悟空は皿を見たとたん、ぷぅとした顔でむくれた。
「えっ・・・ひとり分がそんだけかよぅ。」
「仕方がないでしょう。次の宿場町にたどり着けると思って、そんなに大量に買出ししてなかったんですから。みんな均等に分けているんです。」
「ちぇ〜っ。」
悟空はフォークを口にくわえて、不満気に八戒の顔をにらんだ。
「三蔵も、ここに置いておきますよ。」
三人から少し離れたところで、三蔵は一服していた。
「ああ。」
と、三蔵は鷹揚に返事を投げて返してよこした。
悟空が三蔵の答えを聞いて、にへ、と笑った。
「三蔵、何してんの?食べねぇのなら、オレ三蔵の分も。」
「こらこら、いけませんよ。悟空」
八戒は言うと、三蔵に近寄り、かがんでいる三蔵の上から覗き込んだ。
三蔵は熱心に愛用の銃の調子をみていた。
唇にくわえたマルボロが短くなっている。
八戒が三蔵にたずねた。
「銃のお手入れですか?」
「たまに見とかねぇとな、ジャミングが甘くなるんだよ。」
「はあ。僕にはさっぱりの世界です。」
三蔵は銃の劇鉄を何度も起こしては、空の引き金を引いてはまた戻している。その動作の繰り返しで、かすかな狂いを見つけようとしているのだ。三蔵は頭をかき、つぶやいた。
「そろそろ分解しなくちゃ、いけねぇか。面倒だな・・・・。」
三蔵はしかめっつらをした。八戒は三蔵をなぐさめるように声をかけた。
「大切なんですね、その銃。」
ケッ、と三蔵は肩をすくめた。
「大切じゃねぇよ。こんなチンケな銃、虎も殺せやしねぇ。」
「じゃあなんでその銃にこだわるんですか?」
「こだわってんのは、こいつとすごした時間だよ。」
「そうですか。でも三蔵さんの腕前なら、もっとマグナムなんかのほうがいいような気がします。その銃、一度装填したら連発で五回しか撃てないじゃないですか。機関銃とまでは言いませんけどもね。だけどそれ、続けて撃ちにくいじゃないですか。」
と、八戒は言ってからしまったと思った。三蔵の目がその時冷たく光ったからだ。
三蔵は押し殺した声で低くつぶやいた。
「・・・・・オレにはそのぐらいがちょうどいいんだよ。」
「そうですか。三蔵さん、料理、さめないうちに食べてくださいね。ここに置いておきますから。」
三蔵の目の前から立ち去った八戒は、また竜の逆鱗に触れたかとひやりとするのだった。
―――どうも僕は三蔵さんが、ああいう時は怖いんだよな。ニガテってわけじゃないんだけど・・・。
悟浄にはああいう具合に、怖い思いをすることはない。悟空はもちろん、ない。
三蔵だけが、時々氷のような瞳になる時がある。
―――だって不思議だ。三蔵さんは、僕たちみたいに半妖じゃない。妖怪でももちろんない。だけど、僕は三蔵さんが怖い。三蔵さんは人間なのに。僕は1000人も殺して妖怪になったってのに。
それは三蔵が仏門の徒であり、高僧だからだろうか。その落差がそう思わせるのだろうか。
八戒にはわからなかった。
―――ねぇ、三蔵さん、そのピストルいつから三蔵さんのそばにあるんです?
尋ねてみたいと八戒は思うのだが、それこそ竜の逆鱗に触れることに間違いなかった。
と、悟浄が戻らない八戒を見て茶々を入れてきた。三蔵はうまいのかまずいのか、わからない顔で、食物をスプーンで口に運んでいる。
「おっ、三蔵サマ愛銃のお手入れの時間?大変だね。オレの鎌なんざ、手入れなしでもいつでも使えるのよん。」
「煩ぇ・・・・。てめぇらみてぇに、妖怪の変な法力でこちとら動いてねぇんだ。」
八戒があわててとりなすように言った。
「悟浄、三蔵さんの機嫌を損ねないでくださいね。」
「ケッ、くそ坊主。そのうちてめぇが妖怪になりやがれ。」
「あいにくあの世でも、オレは坊主で人間だ。」
「おーおー、見上げた精神力だねぇ。なあ八戒、そう思わねぇ?」
悟浄の言葉に、八戒はかすかに笑って答えた。内心少し動揺がある。
「三蔵さんは、大丈夫ですよ。僕とは違いますから。」
「あ?坊主だから?坊主の経文にどれだけの力があんのかねぇ。まったく。」
そこへ悟空が、つまらなそうに言葉を入れた。
「なんの話?オレ難しい話ぜんぜんわかんねぇよ。」
「お子様には難しかったか。」
「なんだと、三蔵。」
「ガキはさっさと寝ろ。」
「うるへー!!!三蔵のバカヤロー!!!!」
悟空はどなって、シュラフにくるまった。
三蔵たちも寝袋に横になった。
悟空と悟浄はさっさと先に寝入ってしまっていた。
八戒は寝袋から見上げた月を眺めて言った。
「望月だなあ・・・・満月ですね。今夜は。」
横に寝る三蔵が答えた。
「月は―――嫌いだ。」
「どうしてです?」
三蔵は月を見ていた。
冷たいレモン色の光が、目に痛い。焼きつくようだ。
三蔵は低くつぶやいた。
「あの夜もオレを見ていた。こんな月だった。」
「あの夜って・・・・・・?」
八戒は考えて、がばっと起き上がって言った。
「そうだ、三蔵さんのお師匠の方が死んだ夜のことですね?」
三蔵はしばらく黙っていてから、つぶやくように答えた。
「・・・・それは・・・・そうだ・・・・そうあるべきだ・・・・。」
「えっ、違うんですか?」
「もう寝ろ。」
三蔵はくわえた煙草を、腕をあげて地面でもみ消した。八戒に違うともそうだとも答えなかった。
八戒は思った。――いつもの三蔵だ・・・・。そう、いつもの三蔵だった。
―――あの月こそ、あなたみたいなのに。嫌いだなんて。
八戒は思い、毛布にくるまった。

やがてその小山の森のあたりを、夜の闇の静寂が包んだ。



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