(二)
王大人は蒼紫に言った。
「君は面白い男であるようだ。雪代巴は君の恋人だった女だろう。私はその巴と瓜二つの女を用意した。緋村抜刀斎は、その女に情けをかけたし、弟の雪代縁もその女にはずいぶんと優しかった。しかし君はその女を見たとたん、その首をはねた。君の雪代巴への愛情は嘘だったのかね?君は人間として、果たして本当に巴を愛していたのだろうか。」
「・・・・・どういう意味だ。」
「だから君が今首をはねた女も、たった今この瞬間まで、人間として生きていたという意味だよ。君たち御庭番衆は、そういったものを軽視するきらいがあるようだな。私に言わせれば、野蛮の極みだ。」
「・・・・・・・。」
「偽者だから殺した、それが君の言い分だろう。しかし命というものは、すべて等しいのではないのかね?私はそういう命として、巴という女をよみがえらせた。それは素晴らしいことだ。私は無から有を生み出したのだ。しかし君はそれを、無に帰してしまった。君は本当は、巴という女のことを、さほどは愛していなかったのではないかね。だってそうじゃないか。愛していたら、その命を絶つことはできないはずだ。」
「・・・・・貴様。」
「ほう怒ったのかね?しかしただつっ立っているだけの女の首をはねるのは、いくらなんでも冷酷すぎる。」
蒼紫は、楽しげに言葉を続ける王に向かって言った。
「なら俺にも言わせてもらう。その女にも、偽者の雪代巴としての人生ではない人生があったはずだ。貴様はその人生をその女から奪った。その女の命はあといくばくもなかった。俺はただそれを早めただけだ。」
「君にそんな権利があるのかね?人の命を自由にする権利が。いや、君は今までそうして生きてきたんだが――――。」
ここで王大人は剣を引き抜いた。王は蒼紫に剣先を突きつけて言った。
「君の人生訓がどういうものかは、私は知らない。しかし、君の行く先には、これからも屍が累々と横たわるだろう。君は物の見方が少し正常とはずれているようだ。唯物論、と言ったほうがいいかな。唯物論では人は救えんよ。」
「俺が正常とは違うだと。」
「そうだ。人間的な、血の通った考え方を、君はしていない。君が抜刀斎に勝てなかった理由はその辺にある。たとえ技の上で勝てたとしても、人間としては、君は抜刀斎には勝てないのだよ。」
「人間、か。そんなことは、誰が決めるものでもない。」
「そうかな。君の心は少しも苦しまないのかね。」
「貴様の心は苦しまないようだな。」
「そう・・・私は苦しまないよ。私は愛情においては、人間的に正しいことをしているからだよ。抜刀斎はまた雪代巴に会えた。雪代縁もそうだ。愛情を夢見ることは、人間にしかできないことだ。」
蒼紫の頭の中には、今や真空が生まれつつあった。
王大人が言っていることは、すべて詭弁にすぎないと思う。
しかし、それを突き崩す決定的な言葉が何処にも見つからない。
あんな女を俺の前に立たせるな、というのは幼い感情論だ。
だがこの相手の老獪さを、感情的に突っぱねることしかできない。
俺には―――所詮こんな生き方しかできないのか―――。
蒼紫は慙愧の思いで小太刀を構え、低くつぶやいた。
「貴様の首、貰い受ける。」
「それがありきたりな君の答えかね。」
その時、後ろに立つ瀬田宗次郎はひやりとした。
すさまじい冷気が二人の男の間から発せられている。
宗次郎は残っていた、二の太刀をあわてて引き抜いた。
蒼紫はまず、小太刀で王の腰に打ち込んだ。
そのまま引き込んで、回転剣舞につなげるつもりだった。
しかし受けてたった王の剣には余裕がある。
―――この男の太刀さばき、和式のものではない。
それはさっきの縁に対峙した時に、蒼紫も感じたものだが、くるくると舞を舞うようにして、体ごと回転しながら太刀を受けられては、回転剣舞を見舞う焦点が作れない。
―――九連宝塔を仕掛けるか。しかし。
長身の王には、その隙がなかなか見つからない。まして、王の体はその間にも移動しているのだ。
―――何か奴の動きを食い止める足場を作らないと。
その時、蒼紫は宗次郎が縁に呼びかける声を聞いた。
「縁さん、あなたの主人である男を、四乃森さんが今追い詰めています。加勢してあげてください。お願いします。」
そう叫びつつ、縮地でふりかぶって、宗次郎は王に斬り込もうとした。
しかしその一瞬。
「ホホホ、小僧、おまえの相手はこのあたしだよ。」
宗次郎の前に、操たちのいる張り出したバルコニーから、乙和瓢湖と戌亥番神がひょう、と飛び降りた。
「王のダンナにだけいい思いはさせねぇぜ。小僧、てめぇからぶっ殺してやるよ。」
番神の言葉に、宗次郎の顔に、さっ、と殺気が走った。
「僕を怒らせると怖いですよ。」
「けっ、ひよひよのひよっ子が、一人前に刀が使えるって言うのかよ。」
番神が鉄甲の拳をガシ、と打ち鳴らすと、宗次郎に打ち込んだ。宗次郎は刀で受けた。
宗次郎は番神と斬りあいながら、もう一度、縁に呼びかけた。
「縁さん、早く立ち上がってください。あなたのお姉さんを利用した男を撃つんです。それが正しい、仇討ちの仕方なんですよ。」
雪代縁は両腕を地についていた。
「姉さん・・・姉さん・・・・姉さん・・・・・。」
縁の心は、今さまよっていた。
姉さんを殺したのは・・・・・緋村抜刀斎だ・・・・・・その男には俺は勝てた。しかし四乃森蒼紫には、勝てなかった・・・・。
姉さん、せめて微笑んでくれ、俺に―――俺のために。俺は姉さんのためだけに、今まで生きてきたんだ。
姉さん・・・・・。
その時、縁の目の前に、あの懐かしい姉の幻影が微笑んで立っているのが見えた。
―――縁、縁。立ちなさい。おまえはよくやりました。でも、私はよみがえってはならなかったの・・・・。王大人のやったことは、悲しいことでした・・・・・。
「姉さん!待ってくれっ」
それは縁の心が見せた幻影だったのか―――縁は一声大きく叫ぶと、王に向かって猛然と走り出した。
縁の混乱した頭には、もはや短絡的な思考しかない。縁はものすごい形相で王に叫んでぶつかった。
「やっぱりおまえが姉さんを―――!!!!」
「なにっ?!」
王の顔に動揺が走った。
その瞬間、蒼紫の鬼神のような叫びが縁を貫いた。
「やれ――――っ!!!!」
縁はその声を聞いて、本能的に王の脚を一閃、なぎ払った。
王はしかし、あやうくよけたところを――――蒼紫は見逃さなかった。
―――九連宝塔!!!!
地を蹴って高く飛び上がった蒼紫が王の頭上から、九回の連続技をかけていた。
地に落ちるまでの瞬間、王の体に縦横無尽に赤い軸線が九回、火を噴くが如く走った。
王はその瞬間声もなかった。
二人の男が同時に己れの敵になるとは、王は夢にも思ってもいなかったのだ。
「バカ・・・・・な・・・・・。」
虚空をつかみ、体中から血潮を吹いた王の最後の言葉は、それだった。
「なんと・・・・・。」
乙和瓢湖と戌亥番神はその蒼紫の技を見て、いっせいに総毛だった。
自分たちは、とてもバカなことをしでかしたのではないか。
安全な上のバルコニーにいた方がよかったのだ。
宗次郎も、蒼紫の技のものすごさに目を見張っていたが、すぐに体勢を立て直して、瓢湖に斬りかかった。
「悪は、許しません。あなた達の志しは、あの志々雄さんにも劣ります。」
「なにを・・・・・うがぁっ。」
宗次郎は袈裟懸けに瓢湖の体を斬っていた。
「瓢湖!!!」
そうどなった番神の顔に、蒼紫の拳がめりこんだ。番神は頭をつぶされ、溶鉱炉の前に吹っ飛んだ。
「これでいい・・・・・これでもう・・・・貴様は自由だ・・・・雪代縁・・・・・。」
激しく肩で息をついて言う蒼紫を、縁は亡霊のような顔で見あげた。縁は言った。
「あんたに・・・・・あんたに・・・・姉さんの何がわかる・・・・・あんたは俺の姉さんを・・・・。」
「ああ。俺はおまえの姉を利用した。こう答えれば、おまえは満足か。」
その時だった。
先ほどまで静まりかえっていた、剣心の気配が変わったのは。
「やはりそうでござったか・・・・四乃森蒼紫・・・・・・貴様は最初からそのつもりで、拙者のことを観柳邸で・・・・・。」
剣心がふらり、と剣をついて立ちあがっていた。
蒼紫の目が、その姿を見てせばまった。
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