(一)

「しっ、前に出るな。」
呉黒星の叱咤にその顔をにらみつけると、操は工場の張り出しから身を乗り出した。
縛られて、背中には銃で脅されている。
薫と茜もご同様だ。
だが操は今必死だった。
たった今、惨劇が起こったのだ。
遠目でよくわからないが、蒼紫が女を一人倒したようだ―――。
―――あれは、巴さん、だったの?
操にはわからない。
「あの女はなに?」
呉黒星が面倒そうに操に答えた。
「ボスの作った替え玉さ。雪代巴のな。まあいずれ消される予定だったが、殺されちまったか。」
「・・・・・。」
――蒼紫様・・・・。
操は、蒼紫が泣かないのを知っていた。
あの人は、決して泣かない・・・・・だけど、うれしいはずなのに、私は蒼紫を思うと、とても居ても立ってもいられなくなるのは、何故?
蒼紫さまは、巴さんを愛していたから、偽者を殺したんだわ。
愛していたから・・・・・。
その心を思うと、私はつらい。
だけど、蒼紫さまはもっとつらいはず。私の気持ちなんて・・・・・・・。
その時操は思い知ったのだった。
巴と蒼紫の絆を―――。
私は巴さんには決して勝てない。
薫さんが勝てないと思っているのとは、比べ物にならないぐらい、きっと勝てない。
だって、蒼紫は、偽者の巴さんを殺したんだもの―――そんな愛、私は知らない。
私の愛は、ただ遠くから見ていて、あこがれていて・・・・・ずっと蒼紫さまのそばにいられたらいいな、と思っていて・・・・・そんな愛。
ちっぽけで、甘ったれていて、自己恋着みたいで・・・・・だけど、私も蒼紫さまを愛しているの。
ねぇ、やっぱり私には蒼紫さまは、つりあわないのかな・・・・・。
操の目から涙がこぼれた。
蒼紫が偽者でも巴を消したこと、それは喜ばしいことのはずなのに―――。
操の横の薫は取り乱して泣いていた。
「剣心・・・剣心・・・・・起き上がって・・・・・しっかりして・・・・。」
薫にとっては、剣心がたとえ巴に心を奪われてしまっていようが、剣心さえいればそれで良かったのだ。
操は、薫と自分との違いを思った。
薫さんのは、無償の愛ね―――それに比べて私の愛ってなんて薄汚れて惨めなんだろう。
今だって、私は蒼紫のこと、どこかで突き放して考えている―――どうせ蒼紫には愛されない、と考えている。
だって今まで愛されていなかったんだもの。これからもきっとそうよ。
蒼紫が私のこと、思ってくれることなんてないんだわ。
操は意固地になっていた。
彼女は知らなかった―――蒼紫が、遠い戦火の日、彼女を救うためにどんな気持ちで現れたのか―――。
確かに巴のように、操は蒼紫に愛されることはないかも知れない。
しかし、幼い操を思いやっていたのは、蒼紫にとっては本当だった。
おそらく蒼紫自身も操の存在を欲していたからこそ、一緒に東京につれて出てきたのである。
しかしそれは、操の心には理解できることではなかった。
ただ彼女は待っていた―――蒼紫が自分を助けに来るのを。
それだけが、今の操の望みであった。

蒼紫は、縁の体に狂経脈が浮き上がる様を眺めていた。
縁は贋巴の死を、本当の巴の死と同様にまで考えている。
―――偽者に踊らされていただけだ、貴様も、抜刀斎も。
蒼紫はそう思うが、縁には通じない。
彼は巴が今また蒼紫に殺されたとだけしか、思っていないのだった。
縁の刀があがった。
肩口から気合いをこめている。
一撃必勝の、「虎伏絶刀勢」で蒼紫をも倒すつもりだ。
―――あの技か。奴には回転剣舞は効かぬか。
その時、縁の後ろに立つ中国服の背の高い男―――王大人が言った。
「縁、君の姉さんを殺した男を葬りたまえ。君にはできるはずだ。」
王も大刀を握っていた。
蒼紫は二人が師弟関係にある、とすぐに見て取った。
―――縁を教えた男。
御庭番衆を抜け出した頃、縁はまだ幼かったし、連絡係以外のことは何もできない子供だった。
それを作り変えたのが、おそらく今縁の背後に立つ男なのだ。
―――縁以上の手だれと見た。縁をもし倒せたとしても、あの男を倒さねば意味がない。
蒼紫は小太刀を両腕に握った。
対峙している縁が、ザッとこちらに踏み込んできた。
抜刀斎は倒れたままだ。
―――早い!
縁はその体のしなやかさで、沈み込んでは突き上げる剣戟を仕掛けてきた。
連続技である。
激しく数回、立て続けに蒼紫と打ち合った。
剣と剣とが激しくぶつかりあい、火花が暗闇の空間に飛び散った。
―――縁。
「縁。あれは貴様の姉などではない。」
蒼紫は剣を交えながら言った。
縁の顔が大きくひきつった。
「だまれ・・・だまれ・・・・だまれ・・・。」
「巴は死んだんだ。もう何年も前にな。そこにいる抜刀斎に殺された。貴様はその男に勝った。もう終わったはずだ。」
「だまれ・・・・っ!!!」
縁は刀をはじくと、蒼白な顔で叫んだ。
「貴様が姉さんを引き込んだんだ!!!姉さんは、貴様なんかに使い捨てにされて・・・・っ!!!」
涙が縁のほおを零れ落ちた。
「なのに今またあんたは、俺の姉さんを殺した。殺したんだ。あの優しかった姉さんを・・・・・。」
蒼紫の目に冷酷な光が宿った。
―――俺の姉さんだと。世迷言だ。
「悪いが貴様の世迷言に付き合うつもりはないのでな。」
蒼紫の冷たい言葉に、縁は叫んだ。
「でかい口をたたくな!貴様なんか抜刀斎にも勝てなかったんだ。その抜刀斎に勝てた俺に、貴様が勝てると思うなっ!!!」
「やってみる事だな。その抜刀斎は、貴様らがその女を使って、ぼろぼろにした抜刀斎だ。もはや俺に勝ったときの抜刀斎ではない。」
蒼紫の凛とした怒りに満ちた声が、暗闇に響いた。
瀬田宗次郎がその時、蒼紫がさっき投げた刀を静かに床から拾い上げた。
宗次郎は静かに諭すように言った。
「蒼紫さんの言うとおりだと僕も思います・・・。あなたのお姉さんは、あの今死んだ人ではない。それは冷厳な事実ですよ。どんなに生前のお姉さんに似ていてもね。雪代縁さん。」
縁はだだをこねるように、叫んだ。
「だまれっ。」
「どうしてあなたはそれを認められないんですか?あなたはその後ろにいる人に、態よく利用されているに過ぎないと見ました。違うでしょうか?」
縁はぐっ、と喉に言葉を詰まらせた。
王大人に利用されていることは、既に縁にもわかっていた。
だからそれから贋巴と二人して、事が終われば逃げ出すつもりだったのだ。
だがそれも夢の藻屑と消え―――今贋巴の首をはねた蒼紫の冷酷さが、縁には受け入れられないのだ。
なぜ―――どうして、そっとしておいてやれなかった・・・・・あの生い先短い哀れな女を、姉さんと呼ぶことが何故いけなかったのか。
―――こいつら二人は、俺が苦しんでいる事を他人の顔で笑って、ああして冷酷な言葉を吐いているのだ。
縁の心に憤激が沸き起こった。
―――虎伏絶刀勢!!!
縁は低い体勢から、飛び上がった。
間近に蒼紫の体が迫る。剣をふりかざした瞬間、しかし剣に当たるものがあった。
―――苦無!!!何処から!!!
蒼紫の投げた苦無は、縁の剣に立て続けに二本、激しい勢いで突きあたった。
「ちぃっ!!!」
それでも縁は押し切ろうとしたが、剣先が軌道からすでに外れていた。
―――しまっ・・・。
縁はずれた体勢のまま、蒼紫に斬りかかった。
縁は蒼紫の剣が、自分の頬をかすめるのを感じた。
―――斬られる!!!!
と、恐怖に髪の毛が逆立った瞬間、縁の体には猛烈な打撃が数回見舞っていた。
「くぅうううっ・・・・っ。」
縁はその場にうめきながらよろめいて倒れた。
蒼紫は、縁が倒れたそばで、小太刀を構えた姿勢のまま動かないでいた。
縁は言った。
「今の技は・・・・。」
「今のは技というほどのものではない。陰陽撥止のくずし技だな。」
「なん・・・・だと・・・・。」
「貴様の技は、抜刀斎に対する際に見せてもらったが、滞空時間が長い。その間を苦無でくずした。あとは回転剣舞の基本形で崩せると思った。所詮居合い抜きの技は、抜刀時のそれまでという事だ。」
蒼紫の冷静すぎる言葉に、倒れていた剣心の体がぴくりと動いたが、蒼紫はそれには気づかないでいた。
縁は地に手をつき、倒れたままで、ただ激しい息遣いで敗北をかみしめていた。
―――嘘だ・・・・嘘だ・・・・嘘だ・・・・・!!!俺が姉ちゃんを追い詰めた男に、負けるなんて・・・・・!!!!
と、その時後で立っていた中国服の人影が動いた。
男は低い声で、蒼紫に向かって言った。それはすべらかな日本語だった。
「なかなかやる男であるようだな。君が四乃森蒼紫君かね。お初にお目にかかる。私は)だ。」
ゆらり、と立った長身の男は、長剣を手に握っていた。





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