(四)
蒼紫と剣心たちは、廃工場の坑道を急いでいた。
「なんだか、熱くなってきたようでござる。」
剣心が言った。
空気が重く、ねっとりと熱くなってきていた。
この廃工場の終点に何があるのか―――三人は、闇に目をこらした。
最初に映ったのは、やはり火だった。
赤い点が暗闇の中に見えた。
その火は近づくにつれ、その勢いを増していった。
「溶鉱炉だ―――。」
蒼紫はやがて言った。
剣心は眉をひそめた。
「何のための溶鉱炉でござろう。」
「知れたことだ。銃や贋金の鋳造だろう。」
「なんと―――!銃まで。」
「軍までこの密造を、容認しているとは思えんが――――。」
コート姿の蒼紫は立ち止まった。
巨大な鉄の炉の前に、数人の人影がある。
―――雪代縁―――。
赤い溶鉱炉の吐き出し口の前に、白い髪の男が立っていて、腰の大刀を引き抜いた。
そのさらに後ろの段上に、高い人影が見えた。
中国服の男と女。
王大人と―――。
蒼紫はわが目を疑った。
―――巴!!!
そこに、巴と瓜二つの少女が立っていた。
――そういうことか。
蒼紫はすべてを悟った。
溶鉱炉の炎に照らされて、贋巴のほの白い肌が赤々と燃えていた。
と、蒼紫の横の剣心がそのとき、様子がおかしくなった。
「巴!!!待っててくれたのかい?!!」
剣心がその巴を見てなぜか駆け出す。
「緋村さんっ?!それはマズイですよっ。」
あわてて瀬田宗次郎が抜刀した。
蒼紫はその場に呻くように立ち尽くした。
地面がずぶずぶと沈むような感触―――鉛が入ったように、心が重かった。
認めたくない、贋物―――しかし抜刀斎がまた会っていたのは、今の様子ではこの巴なのだ。
―――大きな悲劇がありましょう。
外印のさっきの言葉はこのことだったのか―――外印が闇の外法を施したのか。
外印を簡単に殺すのではなかった。
もっと大きな苦しみを味わわせてから、殺すべきだった。
二度も―――抜刀斎にはこの苦しみを味わわせられ―――今また俺は、あの巴を斬らねばならない。
俺が斬らねば―――斬らねば―――。
雪代縁が笑っていた。
縁は刀を突きつけて、宣言した。
「来い、抜刀斎。一撃で殺してやる。姉さんの目の前で。」
剣心が抜刀した。
剣をふりかざして、縁に襲い掛かって行く。
しかし、剣に勢いがない。
―――これでは、本格的な九頭龍閃は撃てまい。
蒼紫は見て、心に失望の念が湧き上がった。
病魔はすでに剣心の体を蝕み始めている。
剣心と縁は、ぎりぎりのところで剣で激しく渡り合った。
斬りあいの火花が激しく闇の中を踊った。
と、その時縁の体が地に深く沈みこみ、それから急に上に舞い上がった。
――虎伏絶刀勢!!!!!
縁はその技に絶対の自信を持っていた。
大陸で必ず、抜刀斎の飛天御剣流を破ることができると、言われて会得した技なのだ。
溶鉱炉の炎が、縁の技の風勢に火の粉をふりまいた。
その火の粉がさっと飛び散ったとき、蒼紫は目を見張った。
―――緋村!!!!
剣心は縁にうたれて、ゆっくりと地にのめり、倒れ伏した。
巨人が敢え無くついえたのだ。
それは、蒼紫が長年夢見ていた、結末であった。
――バカな。
蒼紫は目の前の事実を否定したかった。
しかし、抜刀斎は陽だまりの樹のように、すでに内部がぼろぼろに腐敗し、がらんどうになっていたのだ。
剣心が倒れ苦悶しながら、涙を流して何かつぶやいている。
「巴・・・・・巴・・・巴・・・・・拙者はもう誰も斬りたくない・・・・・・拙者はもうだ、れ、も、斬りたくはない・・・・・・・・。」
そのつぶやきの意味を知った時、蒼紫の心に憤怒が沸き起こった。
死んでいない事だけが、剣心の縁に対する地の利と言えるであろう。
すでに剣心は、偽者の巴に会っていた時点でとどめを刺されていたのである。
今まで蒼紫につき従って来たのは、半ば義務感からと言ってよい。
彼の心情の、「苦しんでいる人々を助けること」と、巴を斬った自責感とのパランスが崩れた時、抜刀斎としての剣心は成り立ちえなくなっていたのだ。
しかし―――。
―――こんな貴様を見るために、今まで貴様を容認してきたのではない、抜刀斎!!!!
蒼紫の血を吐く心の叫びはしかし、剣心には届かない。
瀬田宗次郎がかすれ声で言った。
「緋村さん・・・・・あなたが敗れるとは思いもよらなかった。僕は・・・・僕はでも、この時のためだけに・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
宗次郎は顔をそむけ、必死で涙をこらえていた。
蒼紫は蒼白な顔で、縁を無言で見返した。
「勝ったな。俺は、緋村抜刀斎に勝った。次は貴様だ、四乃森蒼紫。」
縁はそう言うと、かすかに笑い、後ろを少し振り返って言った。
「見ていてくれ、姉さん。必ずあいつにも勝つからね。」
後ろの贋巴も笑ったようだった。
蒼紫の顔に、その時不吉なる影がよぎった。
蒼紫は言った。
「確かに貴様は、緋村抜刀斎に勝った。しかし、その勝利は、貴様の姉に捧げられたものではない。」
「なに。」
「姉が死んでいることを、貴様は今一度その胸に刻み付けるべきだ。」
蒼紫はそう言うと、瀬田宗次郎の刀を取り上げた。
「貸せ。」
一声そう言うと、蒼紫はブーメランのように、その刀を闇に放り投げた。
小太刀による飛刀術―――それはまっすぐに、ある一点を目指して、ものすごい勢いで回転しながら飛来した。
蒼紫の怒りを代弁しているかのようなその動き――それは一瞬の出来事だった。
「ああっ。」
縁のそれまで笑っていた顔が、驚愕に引きつった。
蒼紫の投げた剣は、後ろに立つ、贋巴の首を無残にも一撃ではねていた。
空中に巴の首が、高く花火のように舞った。
その顔はまだ、自分が斬られたということを認識しておらずに笑っていた。
その手にはヌンチャクを持って、今にも加勢する勢いであったが、その姿勢のまま贋巴の姿は横に崩れた。
巴の首は、溶鉱炉の灼熱の鉄の火溜りの中にボシャ、と落ちた。
ジュン、と白い水蒸気が立ち上り、跡形もなかった。
それらは一瞬の出来事であり、その時事態を正確に把握していたのは、剣を投げた蒼紫のみであった。
―――これで・・・・・これでいいのだ・・・・さらば・・・・・。
巴と相当する少女の微笑みひとつ引き出すこともなく、たった今手にかけた。
これでいいのだ、と蒼紫の理性は言っていたが、心がどうしようもなく泣いているのが自分でもわかった。
「うわああああああああああっ!!!!!!ねぇちゃんを、ねぇちゃんを、殺すなぁーーーーーーッ!!!!!!!」
雪代縁は絶叫していた。
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