(二)

「ひどい目に合いましたね・・・・・。」
瀬田宗次郎は言った。
蒼紫たちは、やっとの思いで地下水道を出て、煉瓦作りの廃工場のようなところに来ていた。
途中、水を呑んだ宗次郎を介抱してやらなければならなかったし、剣心はというと、蒼白な顔で前をふらつきながら歩いている。
蒼紫は工場の中を見て回りながら言った。
「ブツは移動させてあるが、贋金を作っていたのはここだろう。」
「なんと・・・・敵のアジトは、このようなところに・・・。」
「贋金作りだけではなさそうだ。」
蒼紫の目が隅に置かれた、木箱の上に止まった。
――マーキングに軍使用の通し番号がふってある。
「蒼紫、どうしたでござる?」
「それは弾薬の箱だ。」
「どうしてわかるのでござる?」
「・・・・・・・。」
蒼紫は、まるでこういう事にうとい剣心に、自分とは違うとわかっていたが、いらだたずにはおれなかった。
蒼紫は言った。
「今度は火に気をつける事だな。」
蒼紫の言葉に、宗次郎は明るく答えた。
「水責めの次は、火ですか?ここは、何でもありなんですね。」
「貴様のほうが、よく知っているだろう。」
「やだなあ。僕はこんなところは何にも知りませんよ。僕は、地下水道の地図しか知りません。」
「なに。」
「それも流されて、無駄になりました。もう僕にたよらないでくださいね。」
「貴様。」
瀬田宗次郎がこういう男だという事は、志々雄のアジトでわかっていたが、そのあまりのいい加減さに蒼紫は呆れた。
「しっ、何か来るでござるよ。」
前を行く剣心が立ち止まった。
蒼紫は答えた。
「雪代縁ではないようだ。」
宗次郎が不思議そうに尋ねた。
「どうしてわかるんですか?」
「足音が違う。」
「聞き分けられるんですか。すごいなあ。」
「少し黙っていてくれないか。」
すでに剣心は腰を落として、抜刀術の構えを取っている。
蒼紫も剣に手をかけた。
しかしその瞬間。
「上かっ?!」
音がした。
身を縛るあの無音の音―――蒼紫は今度こそ、相手の顔を見定めた。
―――土蜘蛛が、笛を操っている。
と、剣心の体が呪縛にかかったように動かなくなった。
次の瞬間、剣心の体は宙空に吊り下げられた。
「―――緋村さんっ!!!!」
叫ぶ瀬田宗次郎の体もご同様だ。
蒼紫も腕や足にからみついて引き上げる、斬鋼線を感じた。
―――糸使い。間違いなく、土蜘蛛。
その時、虚空から声がした。
「ひさしうお目にかかる・・・・御庭番衆御頭どの・・・・。」
蒼紫は顔をあげて答えた。
「貴様、土蜘蛛・・・外印だな。」
「覚えておいでとは光栄のみぎり・・・私の躁糸術はいかがですかな。」
暗い虚空に、黒の紋付袴を羽織った髑髏の覆面の男が、すっ、と音もなく現れたかと思うと、胸に手をあて礼をした。
剣心と宗次郎は糸にまったく動きを封じられていて、言葉すら発せないようだ。
老人は言った。
「御頭様については、先代からの恩もございます。ですが、わかっていただきたい・・・・あなた様の取られた道は間違いだったと・・・・・この先にはあなた様には、悲しむべき事態が待ち構えてございます。その地獄を見る前に、この老人があなた様の首を糸ではねて差し上げようという次第・・・・。」
蒼紫の首を糸がぎりぎりと締め上げ始めていた。
蒼紫はきれぎれに答えた。
「俺が取った道が間違いだったと。」
「左様。御庭番衆は、解散すべきではなかった。あなた様ひとり、新政府の飼い犬になるというのは、まことに腑に落ちない顛末でございました。その恨みで、この私のように、闇の配下に下った者も数知れずおります・・・・それも元はと言えば、あなた様のせい。」
「よく言う。」
「闇の者は闇にしか生き方を求めえぬものでございます。それを奪ったのは、あなた様だ。」
「・・・・・外法に落ちた者は、外法の法によって闇に葬る・・・・それが御庭番衆の御頭の最後の務めだ。」
「やってみられれば、よろしかろう。」
言うが早いか、老人の腕がしなり、苦無が蒼紫に向かって飛んできた。
「私の笛の音を聞いてでは、逃れる法はない。」
外印は口に、小さな呼ぶ子笛をくわえていて、そこから超音波が発信されるのである。
音感に敏感な者は、ある音が鳴るとそれに気を取られて、他の動作が手につかなくなるという。
この外印の術も、それを利用したものだった。
しかし、蒼紫はこの苦無をはずすであろう―――外印は、蒼紫の動きを読んでいた。
その、はずしたところを剣ではねる―――蒼紫ほどの術者にも必ず隙ができるはず―――。

しかし。

蒼紫は苦無をよけなかった。
一刀は間一髪で頭の横に命中した。
激しい衝撃が蒼紫の頭に見舞ったが、その瞬間、蒼紫の鼓膜は外印の発する音波から自由になっていた。
わざと三半規管の機能をつぶしたのだ。
次の瞬間、蒼紫は自由な姿勢で地に足をついていた。
―――糸が!!!
外印の顔に、あせりが走った。
やはり糸は、この蒼紫には通じない。
御庭番衆御頭だった男に、斬鋼線が通じると思った自分が、やはり浅はかであった。
さっき糸にひっかかって見せたのは、自分と対話したかっただけのようだ。
外印は必死で剣をふるった。
蒼紫はことごとくその二本の剣を受けて、こちらに向かってくる。
「あきらめろ、外印。」
地の底から響く一声とともに、疾風のような回転剣舞六連が、外印の体を見舞った。
外印は苦鳴とともに、蒼紫に向かって呪詛を吐いた。
「あの女さえいなければ・・・・・・・御庭番衆は解体することもなかった・・・・・・!!!!」
外印の唇から、喉も切れよとばかりに怪音が発せられたが、効果はもはや何もなかった。
ドサリと地に崩れた外印の顔は、仮面をはがすと死に苦笑を浮かべていた。
「緋村、大丈夫か。」
蒼紫は剣心と宗次郎を糸から助け出した。
二人は今しがたの戦闘をほとんど覚えていないのだった。
「ああ・・・助かりました・・・・敵は去ったのですか?四乃森さん。」
「そのようだな。」
「よかった。先を急ぎましょう。今は僕の勘では三里半ぐらいですね。」
「約二千百メートルぐらいだな。今は万世橋の袂付近か。」
蒼紫は思った。
―――あの女さえいなければ・・・・・・・巴のことか。
外印が行った闇の外法について、蒼紫の考えは行き当たりつつあった。


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