(五)

剣心と蒼紫は、先導する宗次郎に従って、暗いレンガ製の地下水道を歩いて行った。
宗次郎は敵がいるというのに、何か楽しそうだ。
蒼紫に向かって声をかけてきた。
「四乃森さん、あなたとこういう処を歩くのは久し振りですね。」
「・・・・・・。」
「やだなあ、僕があなたにしてあげた志々雄さんの話、もう忘れちゃったんですか。」
蒼紫は歩きながら、宗次郎にしぶしぶ答えた。
「この世は弱肉強食が摂理だとか言ったな。」
剣心は聞き始めなので、眉をしかめた。
「弱肉強食・・・・?」
宗次郎が明るく笑って答えた。
「志々雄さんが僕に言った言葉ですよ。この世は強い者が勝ち、弱い者は滅びる、と。蒼紫さん、どうしてあなたは僕の言葉にあの時笑ったんですか。」
「俺は笑ったのか。」
「ええ、笑いました。僕が僕のひどかった生い立ちを話して、志々雄さんのことを話したら、黙って笑っていた・・・・あれはどういう意味だったんです?僕のことをバカにして笑ったんですか?」
「そんなつもりはない。」
「でも、あなたは無言で笑っていた。苦笑したと言ったほうがいいかな。あなたもひょっとして、僕のような目に会ったんじゃありませんか?四乃森さん。」
蒼紫が黙っていると、剣心が横合いから言った。
「はて、どんな目に会ったのだ、宗次郎殿は。」
宗次郎は不意に立ち止まった。
その瞳が手に持ったたいまつの照り返しで、揺れている。
宗次郎は、長い間胸にたまった想いを吐き出すかのように言った。
「・・・・・僕は奴隷のようにこきつかわれたので、そこの家の住人を、志々雄さんにもらった刀で斬り殺したのです。今でも、反省することはあるけれど・・・・・・あの時僕にはほかの選択の余地はなかった。そうしないと、僕は死んでいました。緋村さん、そういう窮鼠が猫を噛むような心境に、あなたはなったことがおありですか?」
「拙者は・・・・。」
宗次郎は剣心が言いよどむのを見て、少ししてから答えた。
「あなたには、ない。僕にはわかる。あなたは他人を裁くことに対して、躊躇や羞恥心といったものがないでしょう。だから、僕は言い負かされた。あなたは強者なのですよ、緋村さん。僕のような負け犬には、あなたの生き方は所詮わかりません。そうですね、四乃森さん?」
「緋村は他人に対して真っ正直なだけだ。」
「そうでしょうか。僕は、緋村さんは残酷だと思うけどな。」
「・・・・・。」
蒼紫は黙り込んだ。宗次郎は、どうも剣心に絡みたいらしいと気づいたのだった。
宗次郎は続けた。
「さっき雪代縁に対して、人の道にもとると緋村さんは言いましたね。でも・・・・縁さんのお姉さんは、緋村さんに殺されている。ずいぶんな言い様ですよね。」
「―――宗次郎殿!」
剣心は思わず叫んだ。
宗次郎は答えた。
「僕は少しは知っているのです。あの斎藤から最近入れ知恵をされたわけじゃありません。」
「まさか・・・。」
目を丸くする剣心に、宗次郎はクスリと笑って答えた。
「その、まさかです。志々雄真実さんを、あなたは少し見くびっていましたね。志々雄さんはあなたと雪代巴とのいきさつを全部知っていました。それであなたが、剣客として、桂小五郎に使い物にならなくなって、自分にお鉢が回ってきたのだと・・・・女にのぼせあがって、ダメになった使えねぇヤツだと、あなたの事を言っていました。」
「それで、志々雄は拙者に対して、あんな事を―――。」
「志々雄さんの野望は大きかったですから、緋村さんへの復讐は、その一歩にすぎなかったのでしょう。でも、緋村さんの事を射程距離内に入れていたのは確かです。俺は俺のやり方で、幕末に対して弔い合戦をするんだと、言っておられましたから、志々雄さんは。そんな志々雄さんを深く理解していたのは、やはり僕よりも由美姐さんだったようですが。志々雄さんが由美姐さんに出会ったのも、僕の知らない幕末の吉原でだったそうですから。」
「そうで・・・そうでござったか・・・・・。」
そこで瀬田宗次郎は、笑ってザッ、と剣心に向き直った。
「そこで安心しないでください。僕は志々雄さんに頼まれて、あなたの顛末を見届けに来たのです。」
「なに。」
「あなたが雪代縁をどううまく納めるか、それに僕は興味があります。亡くなった志々雄さんも、きっとそうでしょう。でないと、あなたに倒された志々雄さんが浮かばれません。僕のように、あの雪代縁をもとの鞘に収めてみてください。できれば、の話ですがね。」
「・・・・・・。」
「それにつき、僕は傍観者という立場に立たせてもらいます。敵が来たらやっつけはしますが、それ以上のことは僕には期待しないでください。緋村さん、あなたが倒れた場合も、僕は雪代縁に対しては、戦いは挑みませんから。僕は雪代縁には、何の恨みもないんです。薫さんと操さんたちを助けはしますがね。」
蒼紫は言った。
「瀬田、貴様の立場はよくわかった。これだけは聞いておく。それは斎藤からの差し金か?」
「まさか。斎藤一は、そんなところにまで僕に干渉しませんよ。僕は道案内を頼まれただけです。」
「貴様。どうして、アジトへの道筋を知っている。」
蒼紫の問い詰めを、宗次郎ははぐらかすように答えた。
「さあ・・・・どうしてでしょうね・・・・そうそう、志々雄さんは、大陸方面ともつながりがあったらしいですよ。斎藤さんには、僕は恩を売るつもりはないんだけど、やはり正義が勝つのは見ていてうれしいものですから。僕はただ、そこにいる緋村さんの罪と罰を見届けたいだけです。」
蒼紫は眉をひそめた。
この瀬田宗次郎という男、とんだ食わせ物だ――――しかし、どこまで巴とのいきさつを知っているのか。この俺のことまで、こいつは勘定に入れているのか、まるで検討がつかない―――。
だが、と蒼紫は考える。
やはり志々雄真実という男、ただの成り上がりの兵法者などではなかった。
ヤツは自分の部下を自在に操り、死後もあの世から抜刀斎の息の根をうかがっているのだ。
ひょっとすると、ヤツの背後にいたのは、長州藩だけではなかったのかも知れぬ。
志々雄真実と一端は切れたと思っていた瀬田宗次郎であったが、旅の空の下で思うことがあったのか、すっかり十本刀の頃の調子に戻っているようだった。
所詮、緋村の説教というのは、その場でしか効力がないのだ―――この俺がそうだったからな、と蒼紫は思った。
人間の本性というのは、そう簡単に矯めることなどできないものなのだ、と―――。

その時だった、前方から仕掛ける気配がしたのは―――。
「来ます。」
宗次郎はたいまつを下に落とすと、抜き払った。
「何人だ。」
「四人だな。」
蒼紫が剣心に答えると、剣心は抜刀術の構えをとった。
まだ剣心の技は落ちていない―――鋭い気合いとともに、剣心は前方の黒装束の男たちに向かって突き進んで行く。
だがさっき縁とともに、現れた男たちではない―――蒼紫は剣心の後ろからやはり抜刀して、斬りかかった。
男たちはしかし、全力で戦わず奥へと退いていく。
瞬間、蒼紫の脳裏に予感が走った。
男らは、剣心らを誘うように奥へ奥へととまた引き返していく。
「―――!」
蒼紫は瞬間、立ち止まった。
前方の暗がりの先に、鋼鉄製の巨大な丸い扉がある。
―――水門!
蒼紫が思う間もなく、男の一人が鉄製の扉の横のレバーを押した。
男は扉の横の鉄の階段を、逃れるように素早くかけあがって行く。
三人が見ている前で、鋼鉄製の扉が開いた。
奔流が三人を襲った。
蒼紫の頭の中で、斎藤が言っていた、贋金作りのことが思い浮かんだが、それは一瞬の出来事だった。
贋金の銅貨の精錬には大量の水が必要だ。
やつらは上水道からそれを引いていたのだ。
―――しかしただの、贋金を作るだけではない、こんなに大量の水を溜め込んでいるとは・・・・!
宗次郎が溺れそうになるのを、蒼紫は手を伸ばして水中で助けた。
「――おい!」
剣心もどうやら壁にしがみついている。
――俺たちを弱らせるためなら、どんな手でも使う気でいるらしいな、雪代縁は・・・・・。
蒼紫は濁流の渦から、咳こみながら壁に這い上がった。

相良左之助は、水道橋から引き返そうという時だった。
「な、なんだこの大量の水は?!」
剣心らが消えた、地下道から先ほどまでなかった濁流が押し寄せている。
「斎藤のばっきゃろう!おい、剣心があぶねぇじゃねぇか!」
左之助は斎藤に怒鳴ると、水路の下に下りようとした。
斎藤は左之助を止めた。
「よせ。歩いて助けに行けると思うのか。」
「てめぇ・・・・・・まさかこうなると知っていたわけじゃねぇだろうな!」
「やつらならなんとかするさ。先回りと行こうじゃないか。おい、行くぞ。」
「てめぇ・・・斎藤・・・・・きったねぇぞ!」
「俺は雪代縁などどうでもいい。大物の首のほうが大事だ。」
斎藤は憤る左之助に、冷ややかにこう言い切った。




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