(三)
「う・・・・ここは・・・・・?」
御堂茜はようやく、気がついた。
暗闇の中に、天窓からの一条の光が差し込んでいて、光の中に湿っぽい埃が舞っているのが見えた。
小さな四角の窓には牢格子がはまっていた。
――牢獄。私は一体・・・・・。
茜はゆっくりと痛む身を起こした。
手には手縄をかけられていた。
そばには、気を失う前に、一緒にいた巻町操の姿があった。
操も手に手縄をかけられていた。
操の凛とした声が耳に響いた。
「気がついた?御堂さん、あんた巻き込まれたんだよ。ごめん。」
操は汚れた頬でぽつりと言った。
抵抗した時殴られたのか、頬が赤くはれ上がっていた。
茜は答えた。
「巻町さん・・・・どうして私たちは縛られているの?」
「悪いヤツらにつかまったんだよ。だから、私の事なんて、ほっといてくれればよかったのに・・・宿題のガリ版なんて、わざわざ届けに来るからさ。」
「巻町さん・・・・・。」
茜はぶっきらぼうな操の優しさを感じた。
茜は、そういう少女だった。
突き放した言葉の中にも、優しさを見つけることができるのだ。
茜は言った。
「巻町さん、私、やはりあなたの事が気になっていて・・・・・だってあなたはいつも一人だったでしょう・・・・・。」
と、その時、操は顔をこわばらせ、茜にどなった。
「シッ、静かに。誰か来たっ。」
その時、茜は自分の入れられている牢獄の鉄格子の前に、誰かが降りてきたのに気づいた。
その足音は何人かいるようだった。
操がその方に向かって、目を光らせてにらみつけている。
背の高い髪の白い男が、二人の前に立った。
「お初にお目にかかるな。巻町操。」
「あんたは?」
「雪代縁―――貴様は俺のことは、何も知らないだろう?」
「知らないわ。それが何?」
「何も知らない――何も聞いていない――ヤツは何も教えなかった。そういう男だ、四乃森蒼紫。」
と、その時だった、操の目の前に懐かしい顔が見えたのは。
「操ちゃん!」
縁の後ろに、両手を縄でくくられて縁に捕縛されている、薫の姿が見えた。
「薫さんまで・・・・あんたっ、一体どういうつもりよっ。」
操が大声で叫ぶのを、縁は懐から銃を取り出し、一発発射した。
轟音が牢内に響きわたった。
「貴様らには、俺は恨みはないから、殺すことはしない。喜べ。」
と言うと、縁は何かを操に向かって放り投げた。
巴の日記帖だった。
「読め。姉さんの日記だ。」
「日記・・・・・・日記?」
操ははっとした。
「薫さん、これ、薫さんが言っていた、剣心の昔の女の日記なんじゃ・・・・・。」
「そうだ。俺の名前は雪代縁、姉さんの名は雪代巴だ。いや、緋村巴というのが正しいかな?」
と言うと、縁は銃口を、薫の頬に押し付けた。
薫の顔が恐怖で引きつった。縁は言った。
「貴様の愛する、緋村抜刀斎に殺された・・・・・。」
薫は悲鳴のように細い声で叫んだ。
「操ちゃん・・・・この雪代縁はね、巴さんを殺されたから、剣心と蒼紫を、殺すつもりなのよ・・・・・!」
「なんですって?」
「でも・・・・・・蒼紫は関係ないでしょ、操ちゃんと、この人は帰してあげて・・・お願い・・・・。」
「薫さん・・・・・。」
「だって、その日記には何も蒼紫のことなんか書いてなかったわ・・・剣心の・・・・・抜刀斎のことは書いてあったけど・・・・・。」
縁の形相が、その薫の言葉に醜く引きつった。
「何故書いていないか・・・それは・・・・姉さんが、抜刀斎を殺すために暗殺者だったからだ!!!・・・・それを仕立てあげたのは、四乃森蒼紫だ!!!姉さんは、四乃森に利用されて、抜刀斎に殺されて死んだんだ。それへの、これは、復讐だッ!!!!」
血を吐くような縁の叫びだった。
その縁の顔に、見るも無残な血脈が走っていく。
両腕の筋肉の上にも、血の蛇のような模様が走った。
狂経脈―――縁が大陸で、会得した技と引換えに与えられた、肉体の変化であった。
薫はヒッ、と身を縮めた。
縁は恐ろしい声で言った。
「巻町操、貴様はこれからそれを読むといい・・・・・・それには、姉さんが剣心とどんなに仲良く暮らしていたかが書いてある・・・・しかし、姉さんは深く苦しんでいた。そうさせたのは、四乃森蒼紫だ。蒼紫は姉さんと関係があった。しかし、それには何も書いていない。貴様も四乃森蒼紫の正体を知って、苦しむがいい!!!」
操は気丈に声をあげた。
「嘘。蒼紫さまは、そんな、女衒みたいなマネはしないよ!」
「そうかな。貴様は御庭番衆のことを、何も知っちゃいない。その癖、御庭番衆の第一の者みたいなでかい顔をしている。貴様の前で、蒼紫をぶち殺してやるよ。」
縁はそう言うと、牢獄の扉を開けて、薫を足蹴にした。
「あうっ。」
薫は悲鳴をあげて倒れこんだ。
「仲良く、足手まとい同士で相談でもするんだな。」
縁はそう言うと、乱暴に牢の鍵を閉めて、去って行った。
「薫さん・・・・。」
操に薫は答えた。
「操ちゃん、そうだったのね・・・・蒼紫さんも・・・・。私、巴って人・・・・・・。」
「ヤツが言っていたのは、確かなの?何も書いていないって。」
「ええ・・・そうだと思うわ。私が読んだ限りでは、何も書いていなかったわ、蒼紫のことは・・・・。」
「待って。」
操はそう言うと、膝を折り曲げた。
手を足の裏にやると、足の下から、細い仕込み手裏剣を器用に引き出した。
忍びの服で、足に巻いている帯の下に、仕込んでいたのだ。
「薫さん、縄を切るわ。手をこっちにやって。」
「・・・・わかったわ。」
操は縛られたまま、まず薫の縄を切った。
それから茜の縄を切り、最後に薫に自分の縄を切らせた。
「この日記よね。」
操は日記を拾い上げて、しばらくぱらぱらとめくっていたが、不意に気がついたのか、本の綴じ代のところを注意深く眺めていた。
「やっぱり。」
と、操は言うと、手裏剣の先で、日記の綴じ紐を切った。
ばらり、と日記がほどけた。
「見て。途中からページが抜かれている。そして、二重になっているわ。」
「えっ・・・・・・。」
薫は目を見張った。
それを見抜く操にも、驚いたが、日記の仕掛けにも驚いた。
やはり、操は隠密なのだと思った。
日記は和綴じなので、一枚の紙を折っているのだが、その中に薄い和紙がさらに挟まっていて、それは一見ではわからないようになっていたのだ。
「驚くことはないわ。忍びの連絡係なら、これぐらい当然よね。というか・・・・すぐに見つかる隠し方よね。見つけてほしかったのかも知れない、その巴って人。」
「えっ、操ちゃん、どういう意味?」
「あのね、本当に隠すのなら、同じ本にして置かないものなの。それぐらい常識よ。」
と言うと、操は日記の束を床にたたきつけた。
薫は操の剣幕に恐れをなして言った。
「読まないの、操ちゃん?」
操は唇を引き結んで言った。
「読まない。どうせ剣心と暮らしていたことや、蒼紫様にいろいろ何か・・・・その・・・・あったことしか書いていないし。でも、もう生きていない人でしょ。そんな人のこと・・・・・・私が知ったとしても、どうしようもないじゃない。第一、剣心と結婚していたんでしょ。」
「え・・・そりゃそうだけど・・・・・。」
「読んで自分が嫌になるのが嫌なの。蒼紫様のこと、嫌に思う自分が嫌なの。私の蒼紫様に傷がつくのが嫌なの。私のこの思いを誰にも汚されたくないの。薫さん、何がおかしいのよ。」
「ううん・・・操ちゃんらしいと思って。そうね、その日記・・・・普通のことしか書いてなかったけどなあ・・・・・。」
「二重になった部分は見ていない癖に。どうせ、蒼紫様のことが熱々の調子で書いてあるのよ。愛してる、とかさ。もう、蒼紫様ったら、そういう過去のひとつやふたつぐらい、あったとは思っていたけど、私に何も言わないんだから。」
「ふふ・・・・・。」
「それより、ここから 早く逃げ出さないとね。薫さん、こっちに来て。」
操は、牢の入り口に張り付いている。
薫もそのそばに寄った。
御堂茜は二人から取り残されている。
茜は床に落ちた日記の束を拾い上げた。
――巻町さんってすごい。御庭番衆って何だろ?
茜はふと、その薄い和紙の中に、色の桃色になった紙を見つけた。
『あなたさまへ―――
追わないでください
たとえ私が死んでも、何もしないでください
あなたが死んでほしくないのです
あなたが傷ついてほしくないのです
何も傷つけずに、ただあなたを思っていたい
雪代巴』
二重になった和紙にその言葉は、かすれた細い文字で書かれていた。
ふと、茜は自分の普段抱いている、寂しさと同じものをその文字の中に見た。
――巴って人がこれを書いたの・・・・?なんだかさびしい人だったみたい・・・・・。
茜はそう思ったが、操が鋭く自分を呼んだので、あわてて二人のそばに駆け寄った。
操は胸元から苦無を取り出しながら、言った。
「いい?見回りが来た時が勝負だから。」
三人は、じっと闇の廊下を見詰めた。
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