(五)


蒼紫は斎藤に会った次の日、定宿にしている裏宿屋から、日本橋にある警察の特務課に出向いていた。
斎藤の勤める部署とは全く違っており、犯罪捜査に関する係りである。
鑑識と言ってもいいかも知れない。
丸眼鏡をかけた、中背のさえない中年男とその部下が、出向いてきた蒼紫を迎えた。
蒼紫はやはり、大刀を手にしていたので、最初その二人は面食らった様子だった。
蒼紫は言った。
「外務省の方から出向するように連絡が入ったので来た。」
「ああ・・・すいません。四乃森蒼紫さんですね。実は、あなたがそういう知識にも詳しいと聞いて、お願いしたいのです・・・・。」
横に立つ青年が言った。
「こちらです。」
蒼紫は執務室から続きの間になった、薬品物が並んだ部屋に入った。
「これです。」
蒼紫の目の前の机の上に、白い紙の上に乗せられた、少量の薬品物がある。
白い粉だった。
青年は声をひそめて言った。
「危険ですから、手ではさわらないでください。」
蒼紫は答えた。
「わかっている。顕微鏡はあるか。」
「倍率は600倍のものしかありません。」
「それでいい。見せてくれ。」
蒼紫は黒の革手袋を、白の医療用のものにはめなおすと、注意深く薬品を匙ですくい、顕微鏡をのぞいた。
プレパラートの上に、整然とした結晶体が見える。
「阿片ではないな。」
「はい、阿片ではありません。もちろん大麻でもありません。」
「そうだ。大麻は樹脂だからな。しかし、抽出したものかも知れない。」
「そんなことができるんですか・・・・・・。」
「設備があれば、できるだろう。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
そこでやっと、中年男が重い口を開いた。
「中毒患者の所持した品から、これが立て続けに出てきました・・・・・阿片騒ぎの時は、あなたは、密造に手を貸しておられたそうですが・・・・・。」
「俺はやっていない。」
「そ、そうでしたな。やっておられなかった。敵情を探るために、その女のところへ行っておられたのです。」
「あがった場所は何処だ。」
「北千住です。」
「昔の四宿のところか。」
「そうです。荒川と隅田川にはさまれた地域です。」
蒼紫は椅子から立ち上がった。
中年男は蒼紫に向かって言いにくそうに言った。
「もちろん、あなたのような方の手をわずらわせずとも、警察のほうで今全力をあげて捜査しております。今回は、阿片密造の時の身の潔白を証明していただきたく、お呼びいたしました。密造者ならば、協力はなさらないだろうと。」
蒼紫は観柳邸でのことを思い出しながら、答えた。
「警察は贋金づくりの方も追っているから、大変だな。」
「その通りです・・・・。」
「残念だが、俺にもこれが何かは全くわからない。新種の阿片かも知れん。」
「心あたりは全くありませんか。」
「多分海外からの密輸品である可能性が高いな。中国、ハノイあたりか。朝鮮アサガオ、アメリカからのペヨーテではないだろう。」
「ペヨーテというのは・・・・・。」
「アメリカ・インディアンが使うサボテンの一種だ。ほかにはペラドンナ、マンドラゴラなどがあるが、それらは大量生産には向かない品種だ。俺が知っているのはこれぐらいだな。」
「御庭番衆時代はどの麻薬に一番、親しんでおられましたか。」
蒼紫は眉根を寄せた。
「どういう意味だ。」
「いえ、乱用していたというのではなく、任務でお使いになったのは・・・・。」
「忍者の里で栽培されていたのは、ご存知の通り大麻だ。俺は使ったことはないが。阿片の原料の一貫種の芥子、すなわち「津軽」はご禁制の品なので栽培はされていなかった。」
「お聞きしにくい事に答えていただいて、どうもありがとうございます。」
「中国人密売組織の線で洗ってみるのだな。元御庭番衆は関係ないだろう。」
「だと、ありがたいのですが・・・・・。」

その時、研究室の戸口に、あの乗鞍彦馬が片腕を包帯でつりながら現れた。

部下を数名、ひき連れていた。
「やあ、おひさしぶりです、四乃森さん。今別室であなたのお話を聞かせていただきました。ずいぶんと、毒関係にお詳しいのですね。僕は驚きましたよ。さすが元御庭番衆、一服盛るのには慣れておられるようだ。」
あいかわらずの、人を馬鹿にしたような言い草の乗鞍彦馬だった。
蒼紫は彦馬の腕に目をとめた。
「その腕は・・・・・。」
「ああ、あなたがいた教会を狙って撃った、海軍と傀王の大砲の破片があたりましてね。この通りです。あなたは五体満足ですか。神の恩寵というのは、あるものなんですねぇ。あなたの場合は恩赦もありましたから、あなたは本当に運がいい・・・・・・。」
彦馬の目の奥では、蒼紫に対する恨みの炎がちろちろと燃えていて、執念深い蛇を思わせた。
蒼紫は黙って彦馬の目を見返した。
彦馬は言った。
「さて、元御庭番衆は関係ないとおっしゃりたいようですが、残念ながら敵の組織の一員として働いているようです。」
「なに。」
「毒に特に詳しかった男ですよ。島原であなたに同行した者たちではないですね。」
蒼紫の頭の中で人別帖のリストが瞬時にくられた。
「土蜘蛛――――。」
「ああ、土蜘蛛と言うんですか。女郎蜘蛛じゃないんですね。なんだ、女ではないのか。」
「女がどうかしたのか。」
「その劇症阿片をばらまいた奴の中に、高荷恵のような女がいるんだそうですよ。荒川沿いの私娼窟に出入りしているようです。暗号名は「蘭」と言いますが、「李花(リーホウ)」とも呼ばれています。」
「リーホウ・・・・中国人か。」
「多分そうなんでしょうが、確証はまだありません。私娼窟でときどき客を取っているようですが、士族の男を特に好むのだそうです。」
「そういう男に阿片をばらまいているのか。」
「そうです。日本人の娘にも化けるそうですが、たいていは中国服を着ているのだそうですよ。ただ、つかまえようとすると、必ず逃げられます。」
「逃げ足の早い女なのか。」
ここで彦馬は馬鹿にしたように笑った。
「用心棒がいるんですよ。凄腕の奴が何人かいてね、女を守っているんです。まあ女衒ということです。」
と、彦馬はずい、と蒼紫の前に進み出た。
「あなたにとっちゃ関係ない事件かも知れませんがね、元御庭番衆が関わっているんです。捜査に協力してもらえませんかね。僕は見ての通りですからね。」
「斎藤がなんとかするだろう。」
すると彦馬は大声で笑った。
「あの先生が?あの先生が今度の奴らをしとめるって?そいつは無理な話ですよ。もう一度間抜けに逃げられました。で、別件の贋金の捜査をしているんですよ。まあどうせ裏でつながっていると思いますがね。」
そう言って小馬鹿にして笑う彦馬の様子を蒼紫はしばらく眺めていたが、やがて蒼紫は言った。
「俺も別件で忙しいが、どうしてもやらなければならないのか。」
「そうです。やらなければ、今度こそ刑務所に入っていただきます。今度の敵は強敵ですよ。何しろ、日本剣法ではないんだ。あなたのような、忍術を知っている人間でないとおそらく太刀打ちできないでしょう。という事で、あなたに白羽の矢がまた当たりました。忍術というのは、そもそも中国から渡ってきたものですからねえ。それに。」
ここで彦馬はねぶるように目を細めた。
「観柳邸で阿片を密造していたのを、黙って見ていた罪は重いですからね。是非雪辱を雪いでください。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「それともあの時は、高荷恵と阿片でもやっていたんですか。あなたほどの人が、またなんで黙って見ていたんですかねぇ。」
「勝手にしろと思っただけだ。」
彦馬はあきれたというように、片手をひろげて叫んだ。
「ああ、どうでもよくなったわけだ。世の中というものがどうでもよくなったわけだ。その理由を是非僕にお聞かせください。」
「抜刀斎を倒す事だけが、頭の中にあった。」
「ふふ、緋村抜刀斎ですか。あの人はあなたの一体何です?寝首をかくのは、わけもないだろうに、なかなか決闘もせずに馬鹿正直にあくまで小太刀二刀流で戦う―――本当にあなたは面白い人ですよ。」
蒼紫は彦馬をさえぎるように言った。
「一応、今日のところは帰らせてもらう。荒川沿いの地図はないのか。」
「ああ、ありますよ。×印のところが、警官が奴らに惨殺された現場です。ご参考までに。」
彦馬は蒼紫に小さく折りたたんだ地図を渡した。
地図は隅田川横の向島のあたりで、玉の井の某所に○印が赤鉛筆で囲んであった。
「そして○印のところは私娼窟で、女が出たところです。ひょっとして、あなたはそこで大変面白いものを目にするかも知れません。僕はそれが楽しみだなあ。」
そう言うと、彦馬はポケットから煙草を取り出して、口にくわえた。
「四乃森さん、さっきあなたの話したことには、嘘がありますね。」
蒼紫は出口を出ようとして、振り返った。
彦馬は言った。
「大麻は使わなくても、ほかの植物は使いましたね。そういう後ろ暗さがあるから、高荷恵に同類のにおいを嗅いで野放しにした―――僕は心理学にも詳しいんですよ。」
蒼紫は険しい顔つきになった。
「貴様。」
彦馬は楽しむように言った。
「あなたはかわいそうな人だな。麻薬なんて、弱い人間が使うものです。」
彦馬はそう言うと、蒼紫の立つ廊下の前の扉を、バタンと音をたてて閉めた。

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