第一章 谺声(かせい) (一)
「あーめー、いらんかえー、
あーめー、いらんかえー。」
物売り娘の木魂のような声が響く、さびしい往来、と言ってもそれなりににぎわった帝都の一筋を、今、上京してきた瀬田宗次郎と、刑期を追えた悠久山安慈が歩いていた。
「不二さんも連れてこれればよかったんですけど・・・。」
「不二がどうした。」
「あの人は、案外甘いものが好きだったんですよ。」
「・・・・・・・・。」
「あ、あの団子はうまそうだなあ。」
「それだけ食っても太らないのか。」
「僕は、運動神経が違います。あ、美人画だ。」
瀬田宗次郎は、絵が何枚も並んだ店先の前で立ち止まった。
「ほう。これは、向こうの絵柄ですねえ。柳に美人とくれば、これは牡丹灯篭だなあ。」
「最近は、支那が大流行だな。」
「ええ、でもこれは日本人が描いたものですね。僕にはわかるんです。」
「ほぉ・・・・・。」
すると店の奥から、あの相楽左之助の盟友の、月岡津南が現われた。
どてらに腕をつっこんで、津南は言った。
「何かお探しですか。」
宗次郎は絵から顔をあげて、にっこり笑った。
「あ、あなたはもしや・・・左之助さんの・・・・。」
「おおこりゃ、十本刀の奴じゃねぇか。」
「これはあなたがお描きになったんですか。」
「ははは・・・・そうだよ、最近の時勢にあわせて描いてみたんだ。まあ評判はいいようだがね。」
津南は瀬田の言葉に、軽く肩をすくめた。
宗次郎と安慈は、津南にすすめられるまま、店先に腰を下ろした。
宗次郎は津南に尋ねた。
「左之助さん、いや、剣心さんたちはお元気ですか。」
「ああ、元気でやってるんじゃねぇか。俺もここんとこしばらく会ってねぇ。なにか・・・大陸に渡るとか渡らねぇとかでもめてるみてぇなんだが・・・・。」
「また・・・・山懸卿が?」
「剣心の野郎は大変だよ。左之助の奴は人がいいからなあ・・・・俺は見ていて、ため息が出るね。」
「そうですか・・・・。」
「あんたはどうしてまた、東京に来たんだ?」
「あなたと同じような理由じゃないですか?人恋しいんですよ。田舎はやっぱりどうも、田舎だったなあ・・・・。」
「俺はあんたと違う理由だがね。」
「そうですか。」
と、津南は安慈に尋ねた。
「そっちの人は、刑期は終えたんですかい?」
「ああ・・・・なぜか軽くしてもらってな。」
「恩赦ってやつかい。」
「そうなんですよ。いわゆる、ラッキーって奴です。」
「は、ラッキーねぇ・・・・そいつはよかったなあ。それじゃ俺は仕事があるから。」
津南はそう言うと、店の奥にひっこんだ。
津南は実は、十本刀の騒ぎの時に、わざわざ親友の左之助のために、京都にまで出向いて見舞いに訪ねたのである。
しかし、当の左之助は白べこで翁と酒盛りをしていて、津南をあっけに取らせたのであった。
――あいつは俺と拳で戦ったし、赤報隊時代のことも忘れてねえんだが・・・なんか、見てられねぇな。ああ、くさくさしやがる。
と、ふともう売り物にはしていない、仕事部屋の壁に貼った「相良総三」の錦絵が津南の目に止まった。
「総三さんよ、あいつのこと、見守っててくれるよう、お願いしますよ・・・・か。」
と、ひとりごちて、津南は絵筆を手に取った。
今描いているのは、大作である。
騒乱の町の様子が、仔細に丁寧に活写されている―――ただし、地方の動乱の一場面だ。
最近では、津南はそのような絵柄の人物や馬の動きを、本物のように描くことに苦心をしていた。
最近博物館で見た、西洋画の迫力に、度肝を抜かれたせいなのだった。
対象物への視線が全く違う―――遠近法ということは、津南にはわかっていた。
その驚きが、明治の人々が文明開化で味わったもののひとつなのだろう。
今まで描いてきた、人物画の錦絵が津南には惜しくはある。
その最後の手すさびが、中国画に似せて描いた、あの店先に並んだ美人画の群れなのだった。
「美人は化けて出ると申しますねぇ・・・・そろそろ退散かな。行きましょう、安慈さん。」
「そうだな。」
安慈と宗次郎は店を後にした。
夕暮れの町に、ひとしきり風が吹きつけた。
と、店先に置かれた美人画の一枚が、ひらひらと風で宙に飛ばされた。
それは気味の悪い動きだった―――しかし、もちろん、誰も気に止めるものがなかった。
美人画は、やがて近くの堀の川面の上に落ちた。
ゆっくりと、墨の筆跡が水ににじんでいき、そのまま水面下に白い紙が吸い込まれていく。
やがてそれは完全に消えた。
水面は何も上に乗ったことはなかったように、よどんで黒く沈んでいた。鏡のような水面であった。
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