4 死ガ二人ヲ別ツマデ
巴・・・・愛している・・・・巴・・・巴・・・・巴!
抜刀斎に巴が殺されたという事を聞いたとき、蒼紫の頭の中は真っ白になった。
泣くことはない―――巴の弟の縁のように―――しかし、心の中を荒れ狂う暴風が吹き荒れていた。
巴をそうさせたのは自分であり、もしも巴が忍びとして生きるように仕込まなければ、巴はまだ江戸の町で元気に暮らせていたのだ。
この俺に会うこともなく―――ああ、巴。
「ひとつ・・・ふたつ・・・・みっつの炎が消えたとき、雪代縁は死に、鬼が立つ。」
簡単な催眠術だった。
縁の前には三本のろうそくが点されている。
それを見ている幼い縁の表情は、焦点がさだまっていない。
縁は、検分として巴のそばに出された者であり、その報告を聞くのは蒼紫らの今回の件の事後処理のひとつであった。
しかし蒼紫は、かつて雪代巴を忍びの道に引き込んだときに、同じような「影うつし」を施したことを思い出していた。
巴は俺の顔を見たのだろうか、あの時の―――その時自分がどんな顔をしていたのか、もはや蒼紫にはわからない。
獲物を狙う酷薄な目つきだったのだろうか、いやきっとそうだ。
何故そんな俺を巴は愛してくれたのだろうか―――あの細い体を、抱きしめることを許してくれたのか―――。
そして巴は、昔の物語の「空蝉」のように、透明な羽の抜け殻だけを残して、俺の手から去ってしまった。
「それで・・・・ねーちゃんは・・・・・・・抜刀斎の顔に・・・・・・・刀で傷をつけたんだ・・・・・・多分・・・・清里の・・・・・時の傷の・・・上に・・・・・・・。」
「それで姉さんは死んだのだな?」
「そーだよ・・・・・。」
「抜刀斎は巴の死体をどうした?」
「あいつは大切に荼毘に伏したよ・・・・住んでいた家ごと燃やしたんだ・・・。」
催眠状態の縁が、陶然とした口調で話している。
蒼紫は縁の前でしゃがみこんで、告白を聞いていたが、やがて立ち上がった。
「御頭、今回の件は失敗ですな。」
かたわらの般若は蒼紫に冷たく言った。
「最初から危惧はしていたのです。あのような者に何の任務が務まるかと思っておりました。御頭さまは、早く目を覚ますべきでした。巴は忍びとしては、下の者。抜刀斎の寝首すらかけなかったのですから。」
「では、貴様になら、抜刀斎の顔に傷をつけることができたのか。」
「それは・・・・しかし、その程度のことしかできなかったのですから。」
「黙れ!」
蒼紫の額に青筋が立ちそうな気配であった。
般若はひっ、と首をすくめた。
蒼紫の手にいつの間にか、小太刀の小さいほうの剣が握られ、自分の喉首に突きつけられていた。
蒼紫は言った。
「巴はくの一として落とされ、使い捨てとなって死んだ。その無念さが、貴様などにはわかるか。」
蒼紫のすさまじい気迫に、般若はあやうく次の言葉を呑みこんだ。
あの女がそのような―――般若の目には、なよなよとした、白い、暗そうな顔の、地味な忍者の女の姿しか写っていなかった。
忍びの里にはあれ以上の、女を武器にしているような女たちがうようよといた。
そのような華やかな女たちには目もくれず、蒼紫は自分にとっては禍根となるような、巴を選んだらしいのだ。
般若はその時、蒼紫の暗い笑い声を聞いた。
蒼紫の顔に、ゆがんだ笑いがはりついていた。
「元はと言えば、江戸の上目付けが、今回の件を仕組んだのだ。抜刀斎には、御庭番衆の者は勝てるわけがない―――なるほど、その通りだ。しかし、だからと言って、くの一を巴にやらせるなど、俺にとってはもってのほかだ。いつかあの者たちの首を討つ。巴を殺した抜刀斎はのみならず、巴をそのような任務におとしめた輩は全員血祭りにあげてやる。その時には般若、貴様もいてくれるな。」
蒼紫の声は、心中の傷の血潮をふりしぼるかのようであった。
般若はあわてて答えた。
「そのような事、御庭番衆が成り立ちゆきません。」
「俺の御庭番衆だ。誰にも口出しはさせん。先代はもういない。そうだな、般若。」
「御意・・・・。」
般若はかろうじて、蒼紫に服従の意を示した。
狂っている―――御頭は、あんな女のために、狂っている。
般若がその時思いついたことは、あの先代御頭の孫娘である操を教育して、この蒼紫に対しての抑えにするということであった。
幸い、蒼紫が保護した操は、蒼紫が物静かな青年であると見て、兄妹のように慕っている様子だった。
しかし、今の蒼紫の様子を見れば、どうなるであろうか。
―――それを、なんとか操さまのもとに、下るようにいたさねばならぬ。翁殿によく言って聞かせねば。
幼い少女に興味を示す者は多い―――この蒼紫にも、その性癖があればいいのだが―――般若は思った。
忘れることです、蒼紫さま・・・・・あの女は現に抜刀斎の妻となったのです・・・・・・・・・・・・。
蒼紫は荒れ狂う雪の道を一人、歩いていた。
何もかもを、こんな風に真っ白にしてしまいたかった。
白はおまえの色だな、巴。
巴・・・・巴・・・・巴・・・・・。
『俺は弱い男なんだ・・・・・忍びの掟からは逃れられんのだ・・・・・。』
あの時・・・・・俺の何を許してくれたのだ・・・・・あんな俺を・・・・おまえは・・・・・優しく抱いて・・・・。
あの夜からの二人は、溶けるようだった。
いっそのこと、溶け合えればよかった。
巴は俺のことを、抜刀斎には何も話さなかったらしい。
そうでなければ、抜刀斎が巴を後生大事に葬るわけはない。
俺もまた、おまえのことは、抜刀斎には絶対にあかさない。
ただ―――『最強の華』を手にするためにだけ、抜刀斎の前に俺は立つ。
死が二人を別つまで、おまえとは一緒だと思っていた。
そうではなかった。
死すらも引き裂けない絆で、俺とおまえは結ばれているのだ。
「巴!」
蒼紫は吹雪の中で、孤独な獣のように叫んだ。
真っ白く狂うように吹き付ける雪嵐は、蒼紫の叫び声をのみ込み、風の中に吹き消していった。
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