評論 藤崎竜「封神演義」を読む・未来視たちの弁証法
少年ジャンプで1996年から2000年にかけて連載された、マンガ「封神演義」は原作があるとはいえ、私にとっては、非常に面白く、かつまた刺激的な作品であった。私がこれまで読んだ中でも、あらゆる点で、「普通の少年マンガとは違い、でも普通の少年マンガたらんとする」作品であった。原作を知ってみると、なおさらに面白く、一時期は「封神」関係の書物を読み漁るということをしてしまった。そんなコミックの感想というか、私の観点から見たコミック「封神演義」について、述べてみたいと思う。
私がこの作品の中で、一番惹かれた登場人物は、主人公の太公望ではなく、敵役の紂王である。が、これは作者の藤崎氏もある程度予想していたのではないだろうかと思える。と言うのは、藤崎氏が、老いて首を斬られても、誰も涙する者もいない紂王を、19巻の表紙に描いているからだけではない。確かに、キャラの扱いから見ると、紂王が表紙にくるほどの人物として描かれているのだろうか、というのはある。だが、最初の1巻を見たとき、あらかじめ作者は紂王にこの長い物語の中で、格段の地位を与えているのがわかる。それが、1巻第七回の扉絵と次のコマである。ここまでくる間すでに主人公の太公望が活躍しているのだが、太公望はこのように、主人公にもかかわらず大ゴマで描かれたことはないのだ。それに比べて、なぜ作者はここでこんなに大きく、しかも美しい絵で紂王のコマを描いたのだろうか?
比較として出すと、子供向けの「封神演義」の本がある。そこでは、紂王は、「三国志」の関羽と見まがうような、ヒゲづらの悪人相で挿絵に描かれることが多い。原作というか、原典の「封神」はそういった物語である。出だしこそ紂王が主役で進むが、すぐに妲己を娶った時点で紂王は憎憎しい敵役に転落する。変わって話を進めるのは、周の姫昌やナタクである。そうして、やっと主人公の太公望の出番となるのだ。
藤崎氏は、それらの話の順序やエピソードを前後させたり、削ったり、あるいはふくらませたりして、原作とは全く異なるが、ある意味では原作以上に「物語」として座りのよい結末を導き出そうと苦心した様子である。そして、そこに、およそ少年誌としては不似合いな「童話」的趣味、「童話」的要素をふんだんにちりばめた。それはどちらかと言うと、幼児向け番組に散見されるような趣味である。例えば太公望の乗り物かつ霊獣であるスープーシャンは、スープーパパ、スープーママの出番を待たずとも、トーベヤンソンの「ムーミン」シリーズのムーミンにそっくりである。また、原作では殷王朝よりも前の時代の王朝の血をひく、世捨て人の申公豹も、藤崎版では童話のピエロのような扮装で、語り部としての役割を果たす。そして――この藤崎氏の物語の中でも、ひときわ目を引くのは、宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」からの引用が二回も出てくることである。それは第17巻と第18巻に出てきて、後のものでは太公望たちは「封神魔列車ピーマス999」という汽車に乗って封神台へ行くのだ。むろん、これは松本零士氏の「銀河鉄道999」からの引用でもあるのだが、「死んでしまった聞仲に会うために」太公望との戦いを唐突に中断してしまう張奎は、「不死の機械の体を得るために、銀河鉄道に乗る」999の鉄郎ではなく、友人の死んだカムパネルラにいつかまた会えるかも知れないと思う、ジョバンニ少年の方であるだろう。そして、二回もこのような似たシュチュエーションを、バトルマンガにもかかわらずに出す作者の意図は、そのあたりにあるはずなのだ。
1.ジョバンニ＝太公望、カムパネルラ＝紂王、ザネリ＝狐に操られた妲己
いきなりで何だが、この三人の関係はこの通りである。太公望は、紂王のことを憎んではいない。それは細心の注意を払ってそう描かれている。羌の民を生贄に狩ってきた殷王朝の王にもかかわらずである。1巻の二人の出会いの場面など、会ってすぐ友達のように意気投合してしまうあたり、原典とは全く異なる。また例えば「いとしの紂王が・・・」という王天君の太公望への皮肉なもの言いが、20巻には出てくる。実はこの巻で太公望は黄天化が紂王を討ちに行くのをとめている。この時の太公望の真意はわかりかねる。「仙道が人間を倒したら、人間の立場はどうなる」と太公望は言うのだが、前の巻ですでに、仙人ら総がかりで、化け物になった紂王と戦っているからだ。説得力はまるでない。ただ単に、太公望の取った行動は、紂王の助命嘆願としか見えないのである。そして、実際に藤崎氏は、「異説・封神演義」という別バージョンマンガで、太公望に相当する少女・望に、紂王と妲己の助命をさせて成功させているのだ。この異説ではスープーシャンが「ゾフィー」という言葉で話すが、これは初代ウルトラマンシリーズで、最終回に出てくる「光の国」からの使者・ゾフィーから出てきた言葉であろう。ゾフィーはカラータイマーが壊れ、「光の国」に帰らなければならなくなったウルトラマンが、体を借りているハヤタ隊員や地球の人間を見捨てるに忍びないと言うと、「そんなに地球の人間が好きになったのか、ウルトラマン。私は命を二つ持ってきた」と言うのである。このゾフィーの有名なセリフの中の命をふたつ―――これは「異説・封神演義」の場合、紂王と妲己の命のことなのであり、太公望は正義と博愛の超人・ウルトラマンなのである。なぜ藤崎版の太公望は、紂王をどこかで許しているような言動をとるのか。それは「汝の敵を愛せよ」という、最も高潔な行動原理を太公望は少年マンガの主人公として、備えているからである。それは、宮沢賢治の童話のジョバンニ的であると言っていい。
「銀河鉄道の夜」の原型を借りて話を進めれば、太公望は少し小心だが心の美しい少年ジョバンニ、紂王はそのジョバンニの孤独を理解するカムパネルラ、妲己はそのカムパネルラが助けようとして死んでしまうザネリで、ザネリはジョバンニをいじめる少年である。この簡単な三角関係がおわかりいただけただろうか。そして、「銀河鉄道の夜」では、銀河鉄道に乗っている時、カムパネルラはすでにいじわるなザネリを助けて死んでしまっているのである。
2.狐に操られる少女・妲己
さて、そんな妲己だが、その正体は「狐」である。これは第6巻で詳しく述べられているのだが、彼女の紂王の治世での本体はもともとき州という一領主の姫であった。紂王が覗き見て、やはり正妃の皇后の方が美人だと考えるぐらい、目立たないそばかすの娘であった。コミックスではこの「蘇妲己」は、「借体形成の術」で体をのっとられて以来、もとのき州候の娘の部分はなくなってしまっているかのように見える。実際、物語としての「封神」では、ほとんどの本でそのように書かれている。だが、終盤、妲己はそれまでの「支配者たらんとして」努力してきた自らの望みを、「わらわのしたかった事って本当にそんな安っぽい事だったのん?」と、「始祖」の歴史に遭遇した時から内省し、「土にも水にも風にもヒトにも すべてに居ることができるなら」と、地球との融合を願っていたと言いだす。始祖が強大な力を持ちながら、それを使わずに永遠を手に入れたから、と説明されているが、この説明は一読した限りでは、それまでの妲己のキャラクターから考えると、まことに不似合いと言うほかない。しかしお話はそう進み、太公望はそう言う妲己に「まだ消えてはならん」と手を差し伸べ、妲己はジョカの本体を消し去り地球と融合してしまう。ところが、このジョカの本体は、妲己が消滅しても、まだ残っていて、太公望らに戦いを挑んでくるのだ。少年マンガらしい、ラスボス・ジョカとのバトルが展開されるのだが、それでは「借体形成の術」とは何だったのだろうか、という疑問がわいてくる。妲己の狐の部分ははジョカの体を「借体形成」で自分のものにしていたが、それは完全ではなかったということなのである。
ここでお話を戻すと、先ほどの「わらわの理想ってなんて卑小なの?」という内省や、「すべてに居ることができるなら」という少女らしい感傷感は、実は「狐」と一体になった妲己にはふさわしくなく、どう見ても、もともとの目立たず、心やさしい「蘇妲己」という少女にこそふさわしい。実際この独白の時の見開きの妲己の横顔のアップは、それまでの妲己の表情から一変し、可憐な美少女の横顔になっている。しかし、コミックスでは、その妲己の心変わりは殷のはじめの時代であると設定し、(妲己がジョカに出会ってから100年たった頃、と説明されている)それは妲己の古くからの「狐」の部分である、という奇妙なジレンマに陥ってしまっている。初読で、読者が必ずやつまずくであろう箇所である。実際、私も何度もこの箇所については読み返したのだが、結局以下のような解釈を取るしかないと思うようになった。
それは、藤崎版の「封神」の特色である、ジョカは異星人として設定され、仲間に背いて遠い故郷の星と地球を同じようにしようとしていた、というSF的な舞台をある部分で捨て去る道である。ジョカやその仲間の異星人のキャラデザインを見て、何かに気づかないだろうか。そう、彼らは手足こそ両生類のようだが、顔を正面から見た場合、大変に妲己の「狐」の時の顔に似ているのだ。大きな目と小さな鼻は、配置を少しずらしてみれば、「借体形成」の時に現れた「狐」にそっくりだ。原作でも、ジョカは神であるとされながら、妲己三姉妹をてなずけているあたり、妖怪の親分と言ったほうがいい。さらに原作ではジョカは、ジョカの神殿に参りに来た紂王が、ジョカの像を見てよこしまな気持ちを抱いたのに腹を立て、妲己ら妖怪を殷に差し向けるという設定を持つ。これはある意味では、ジョカは「蘇妲己」の影の性格を代弁している設定を持っているとも言えるであろう。影――シャドウ、と呼ばれるこれは、ユング派心理学が童話を分析した結果、出してきた象徴のことであり、その人物の願いの影の部分を示しているような登場人物を指す。後に言う、太公望と王天君などがこれにあてはまる。蘇妲己の場合は、自分をたくさんいる妻妾の一人にしようとしている紂王への立腹、という心の影の部分が、原作でのジョカの紂王への立腹に対応していると言える。「狐」とは、シャドウ――影のことであり、蘇妲己の場合、自分にとりついた「狐」と、さらにジョカという強力な「狐」がとりついているのである。
しかし、藤崎版のジョカは、全く紂王らとは関係がないように一見見える。一言、妲己がジョカの力を見て「紂王を改造するのに何年もかかったというのに。わらわにもあれほどの力があったなら・・・」と独白するのみにとどまっているかのように見える。(第20巻)だが、この時に出現したジョカのキャラデザインを見てみるがいい。黒髪を振り乱したその姿は、死体になった女のようであるし、その後正統な中国的デザインで登場したジョカは、誰に一番似たデザインかというと、それは紂王の正室である皇后に実は最も似ているのである。
この、紂王の正室であるきょう妃であるが、この人物は実は奇怪な一面を持っている。それは第3巻で、息子らの見守る中で、自害した魂が仙人でもないのに、封神台へ飛ぶという描写である。作者は、この謎についてはっきりした説明をなさず、長々と崑崙の場面をひっぱり、この巻を終えてしまっている。ちなみにただの人間が封神台に飛んで、それが取りざたされるのは、、彼女ひとりきりなのである。封神される理由は、後に出てくる紂王の場合や、紂王の息子の殷郊・殷洪や黄飛虎は、仙道の介入がその生涯にあったから、という見方ができるのだが、このきょう妃にはそういった面がひとつも見当たらない。第10巻での殷郊の回想場面では、「あなたは殷の王太子なのです」「私がもっと強い女であったなら・・・」と賢母や女の部分が強調されているのだが、彼女が妲己や紂王のことをどう思っていたかは、さだかではない。ただ、自害という激しい恨みが隠されている「行動」のみが、彼女の意思を伝えているように思えるのである。彼女の魂は闇に向かって飛び、明るい世界への復讐に燃えるジョカ――真の負のグレートマザーへと物語の裏で成長していったのではなかろうか。そして、恐ろしい憤母の太母となった彼女が、恋敵の「蘇妲己」の魂を「狐」の中に閉じ込めていて、最後の最後になってやっと、蘇妲己に自分らしく「ヒトにも すべてに居ることができるなら」と嘆息させ、「太公望ちゃん・・」と、かつて苦しめ、苦しめられた相手に憐憫の情を表すことができるようになったということではないだろうか。
この、蘇妲己をめぐる物語の片鱗が見られるのが、藤崎氏のデビュー作になる「ハメルンの笛吹き」である。この作品も、何かに操られる植物人間の美少女が登場し、その操ったものから「神の魂」で抵抗し、死んでから自由になる、というあらすじを持っている。この作品が収められている初期短編集には、デザイン的に見ても「封神」につながるキャラクターがたくさん登場している。また、作品全体を通じる雰囲気が、今の画風よりもいわゆる「メルヘン」志向であり、藤崎氏の出発点に「メルヘン」があったことがよくわかる。
3.王という代名詞
ここまでで、妲己というキャラクターの造形の中に、純真な「蘇妲己」の部分と邪悪な「狐」の部分があることは述べた。ここでまた「銀河鉄道の夜」に返るのだが、この作品にはもう一人、重要な人物が登場する。実は前述の「狐に操られた妲己」がザネリというよりも、「狐」がザネリであり、「蘇妲己」の部分はこの人物ではないかと思える。それは、童話の中盤に登場する、弟を連れた少女の設定である。ジョバンニはこの少女がカムパネルラといる席に腰掛け、カムパネルラと二人で話をするのを見て、なぜか寂しい気持ちになる。むろん、カムパネルラをこの少女にとられたような気がしたからである。だが、少女はすでに客船の事故で死んでいることがわかり、彼女は途中で列車から降りてしまう。「蘇妲己」という少女も、話の中で存在しているのか存在していないのか、わからない。多くの「封神」の本では、彼女は「狐」に憑依されたときに、死んでしまったという叙述である。では、この「狐」とは一体何を表しているのだろうか。
ここで、コミックスの1巻を開けてほしい。作者自身は、連載の当初だから未熟な部分が多いとマンガの中で書いているが、やはり物語が組みあがっていく上で、興味深いのが連載のはじまりである。この当初、妲己は――「蘇妲己」ではない――は、殷の王朝に何代もとりついて、皇后になっていた、というおかしなくだりがある。これは太公望の出自を説明するのに出てくる部分で、そこでの昔の妲己は、「蘇妲己」に憑依して「100年に一度の肉体」を得た妲己の長い髪形ではなく、短い少年のような髪型をしている。これは、この連載の中で、藤崎氏は明らかに二人の妲己を描き分けている。「蘇妲己」に憑依する以前の妲己は、必ず短い髪型をしているのである。ここで妲己は、太公望らの羌の異民族を狩ることを宣言するのだが、このとき「――では異民族をつかまえてくればいい。殷族でなければいいだろ?」と、いつもの「―――わん」「―――よん」と言った、甘えた少女の口調で話さないのである。この命令口調は、あきらかに男の――少年の口調である。この時の妲己は瞳が「狐」の変化に変わっていて、恐ろしい顔つきになっている。
この、短い髪型をした妲己が多く出てくるのは、金ごう島でのくだりである。金ごう島は、殷の聞仲が出自した場所であり、対崑崙の図式から見て、殷側に属する場所である。もちろん、連載ではそのようなことははっきりと出てこないが、これは実は、殷王朝の影を表す場所と言っていい。明るい表向きの殷王朝の影の部分をつかさどるのが、金ごう島なのである。ここから、仙人らが対太公望戦に繰り出されているところから見ても、そのように整理されるだろう。ここでまたしても時空がねじまがるのだが、今から60年前皇帝太丁の時代、と表記される時代―――妲己は「王氏」と名乗り、殷の皇后におさまっていたが、聞仲に宮廷から追い出されてしまい、苦しい修行を続けていた。この、「王氏」という名前は藤崎氏の創造であり、原典にはこの名前はない。また、太丁という皇帝も原典では全く出てこない。藤崎氏がどのような資料を見たのかわからないが、はしがきで「30代の紂王のことではなく、17代のことかも知れない」と書くあたり、この太丁の時代という設定をできればよく考えてほしいという意図が見えるようなのである。もっとも物語の終盤で、神話時代になぞらえて話が進むところになると、歴史の記述はべらぼうになるので、ばかばかしいと思われる向きがあると思われるが。
ここで時空はねじまがり、圧縮される。原典では紂王の父・帝乙というのがはじまりに出てきて、紂王はひとつの家庭の物語を持っているのだが、藤崎版では紂王にそのような設定は見られない。しかし、紂王の影の父親はいる。それが実は、金ごう島の通天教主である。彼は楊ぜん の実の父親なのだが、「王氏」の妲己に心を奪われてしまう。「王氏」に「わらわもぼちぼち独立しようと思ってるのん」と言われ、形骸としての姿をさらすことになる。それは自分を越えていく息子に実権を譲り渡した、老王の姿である。ここまで書けば、「狐」とは何のことかもうおわかりだろう。「狐」とは、紂王の分身の姿であり、紂王の影なのである。「王氏」というネーミングの「王」は、まさに「王」をあらわしている、暗黙のサインなのである。「王氏」であるときの妲己が、後の「蘇妲己」に憑依した妲己では考えられないぐらい、「修行にあけくれていた」と記されるのは、聞仲と修行をした時の紂王の少年時代を暗に示しているのである。
藤崎版「封神」では、この「王」の名前がつく者らの地位が、原典よりもあがっている。「王天君」、「王えき」、「王貴人」など、原典ではさしたる重要な役柄ではないのだが、あきらかにこの名前に意味あいを持たせていると見ていい。そして、これらの人物はすべて、紂王の影の部分をあらわす人物なのである。ただし、「王天君」については、太公望の影の部分を背負っている、と見た方がいいだろう。作者は、この「王天君」というキャラに、物語で展開したとおり太公望の影も確かに入れているのだ。通天教主のもとで、幼い日に「王天君」が閉じ込められたという設定は、殷の支配を受けて狩られる羌族の姿を暗にさしていると見ていい。そこへ「王氏」である妲己が、「あなたの気持ちわかるわん」と母親のようになぐさめにやってくる。しかし、「あなたの憎しみに力を貸してあげる」と言われると、王天君は「おれが壊されていく」のである。この「王天君」の意外な「やさしさ」は、やはり太公望のものであろう。
そしてこの、紂王――「王氏」の妲己――「狐」の配置とまさに鏡のようなキャラ設定を持つのが、通天教主の実の息子の楊ぜんである。楊ぜんは、太公望を友として信頼し、愛しているが、正体は「狐」のような妖怪であり、しばしば「変化の術」を使って妲己になり、太公望やその仲間たちを試す。この楊ぜんの設定は、紂王の隠された設定を明るく映し出す、鏡像であろう。王天君は、楊ぜんのことを「王子さま」と呼ぶが、紂王から老いをさしひいたキャラクターが、楊ぜんなのである。
4.紂王の内部分裂方程式
さてこのように、有機的にキャラクターが分裂をしているのが、実は藤崎版「封神」の特徴である。原典はそのあたりがデタラメなので、読んでいて大変に疲れるのだが、藤崎版の「封神」は何度でも読める。それはコミックであるから、という理由だけではない。紂王や妲己が何度も分裂し、様相を変えながら物語を形づくっているのである。
例えば、終盤に出てくる燃燈道人。燃燈は、原典でははじめから出てくるキャラクターであるが、藤崎版では紂王の死と入れ替わり、登場する。燃燈もまた、紂王の分身の一人である。彼は紂王が遣り残した「ジョカを倒す」ことを目的とし、太公望を先導する。これなどは、簡単な原理を用いているので、誰にでもわかるのではないだろうか。燃燈は、これまたものすごい年代の遠い昔、死んだと思われていたが、異母姉の竜吉公主は「やはり生きておったか」と、その死を信じていなかったという描写が出てくる。この竜吉公主のデザインもまた、「蘇妲己」から派生したものである。長い黒髪は、「蘇妲己」が髪留めをはずし、その顔は「蘇妲己」がエステが成功したかのような美少女なのであるが、ものすごい確率でしか生まれない純潔の仙女という設定を持つ。それは、「わらわの魂魄が入り込めるのは100年に一人出てくるかどうか」という、「蘇妲己」の設定と符号する。その竜吉がその死を信じていなかったという文脈は、唐突に出てくる「約550年前」という年号にはほとんど意味がなく、紂王が死んでしまってこの先どうなるだろう、という読者の読み以上に「蘇妲己」という一人の少女の願いから出ているのである。
他に竜吉のデザインで特に興味深いのは、まとっている服に北斗七星が描かれていることだ。原典では、竜吉はリストで紂王の上に封じられ、星を持っている。だがそれは北斗七星ではない。北にまつわる星を持っているのは、実は紂王に殺される姫伯邑考である。伯邑考の星は、紫尾北極大帝といい、北極星のことだ。原典は周側の勝利をたたえる書物であるので、すべての星の中心に、伯邑考がきている。この北極星に近しい北斗七星を身につけ、「童子護命」という救世観音の護符をまた服につけている竜吉は、物語ではまったくの接点はないが、伯邑考を残酷に処刑した紂王への、「蘇妲己」の諌めを表していると思われる。竜吉はその登場の時、蝉玉が土行孫に心を寄せていることに腹を立て、ストーカー行為を繰り返す劉環を諌め、封神するという働きをする。これなどは形を変えた、蘇妲己―紂王―伯邑考の物語としても読むことができるのである。紂王もまた、伯邑考に心を奪われた妲己に腹を立て、伯邑考を処刑してしまうからである。しかし伯邑考の話には、「蘇妲己」の影も見当たらないではないか、と思われるだろうが、伯邑考が持参した白面猿候の歌う歌は、国民唱歌の「墨田川」であり、これを聞いた「狐」の妲己は立腹する。それは何故か。「蘇妲己」のキャラ設定は実は、中国なのに、日本の旧制女学校制服のような袴姿にリボンである。実は白面猿候は暗に蘇妲己の愛らしさを讃える歌を歌っていたのである――この時点では「蘇妲己」はまだ登場していないのに、である。話を竜吉に戻すと、彼女の胸の北斗七星の印は、話が進むにつれてなくなってしまう。調べてみたが、特に紂王が死んだ後では、服の印がむしりとられたようになっている。北極星のまわりを永遠に回転する北斗七星を、紂王は許せなかったのである。また、この北斗七星はギリシャ神話のカシオペア王妃の逸話も想起させる。王妃カシオペアは自分の美貌は美の女神アフロディーテよりも美しいと広言してはばからなかったので、その罰として、永遠に天で回転しなければならなくなった。それがカシオペア座である。紂王は、この回転を止めたのである。これは破壊の裏に、開放があることを意味している。
他の女性キャラを見ても、例えば紂王に言い寄られて欄干から身を投げる、黄飛虎の妻・か氏もまた、黒髪の美女である。アニメでは全く異なるデザインとなっていて、残念であったが、藤崎氏はこの、紂王を拒むか氏のデザインを、竜吉と紂王の正室のきょう妃の中間ぐらいのキャラデザインとし、位置づけを持って描かれているのがよくわかる。対する黄妃は、妲己が幼い少年になったかのような設定で、同じページに「狐」の妲己と一緒に描かれているのを見ると、ほとんど両者の区別がつかない。それどころか、紂王が自分よりも美しい正室のきょう妃に手を出して失敗し、それを嘆く幼い妲己のようにも見えてくるのである。
このように、主要な女性キャラにどこか、「蘇妲己」、「狐」に憑依された妲己、きょう妃のキャラデザインを入れているのが、藤崎版「封神」の特徴であり、一読ではそれぞれ別個のキャラクターに見えるように工夫されているのが、よくわかる。これが男性キャラになると、もっとバリエーションが増えてくる。
まず、誰が見ても納得するキャラに紂王の息子の殷郊があげられる。容姿や性格など、紂王の息子なので、紂王にそっくりである。が、この殷郊は原典では三面六臂という姿になる。はっきり言って、インドのカーリー神やシヴァ神などの神像にみられる形の化け物である。このような「化け物」を産んだという設定は、きょう妃を考える上で重要な手がかりである。きょう妃は字は違うが、「羌」に通じる音を持つ。また、殷郊は物語の中で、すぐに父である紂王を倒し、自分が新しい王となる心づもりをする。それは子供というよりも、もはや紂王のライバルであると同時に、紂王のきょう妃へのこだわりを表したキャラなのである。従って、第19巻で楊ぜんが殷郊に化けても、紂王は「誰だきさまーっ。」と言って殷郊に殴りにかかるのである。
きょう妃について考える上で、興味深い物語がある。それは、ナタクの出自の物語である。ナタクの母は、「殷氏」という名前で、これは明らかに音で殷と関係づけられている。作者はナタクの母殷氏を助け、父李靖を殺したいと思う心理を、太公望に「父を殺害し、母と寝たい」「エディプス・コンプレックス」と説明させているが、この関係は紂王のもともとの家庭関係を暗示している。原典には紂王の母は全く出てこないが、紂王もこのような「エディプス・コンプレックス」を持っており、このナタクの「母・殷氏」にあたるキャラが実は、正室の「きょう妃」なのである。このような位相のズレは、童話などによく見られることである。つまり、紂王はオイディプス王のように、心理学的には実際に自分の母と二人の子供をもうけていたのであり、その禁を破ったことで、殷郊は化け物であるという設定を、表面では負わなくてはならなくなっているのだ。これも昔話ではよくある設定である。エディプス・コクプレックスは、母→姉、もしくは年上の女性→身近な女性という具合に解消していくと言われるが、藤崎氏が封神で並べた女性キャラもこれに沿っている。すなわちきょう妃→竜吉公主→蘇妲己という具合である。
話がまた女性キャラに行ってしまったが、ナタクも従って紂王の子供時代を表すキャラクターである。物語では敵対しているが、そのような見方だけでは、「封神」という作品を表層的にしか解釈できない。殷郊の弟・殷洪は、キャラデザイン的に見て、その長い髪が「蘇妲己」のようでもあり、また前に紂王との共通点をあげた、楊ぜんのようにも見える。この殷郊・殷洪の対立の仕方は、紂王・楊ぜんの対立の仕方に対応していると言っていい。紂王と楊ぜんは物語の深層では兄弟なのである。これは裏返すと、王天君と楊ぜんの物語にもなる。すなわち、師や周囲に恵まれた楊ぜんに対し、王天君は父や師聞仲の抑圧を受けて育った紂王に置き換えることができる。王天君は、太公望の心の闇を映すキャラとして描かれているが、紂王の闇の部分をも背負っているのである。
あと、対太公望戦で数多く出てくるキャラのうち、人目を引くもの、また、「王」の名前を冠するものは例外なく紂王から分裂したキャラクターであろう。四聖の王魔などは、魔法のような宝貝を使うにもかかわらず、楊ぜんから「血気にはやって千年のクンフーを死という形で失うか」と時代がかった決めゼリフを言われる。これは、「王氏」の妲己のセリフ「わらわもまだまだクンフーが足りなくて・・・」というセリフに出てくる「クンフー」と同じで、それは聞仲について修行していた時の紂王を暗に表す言葉である。また、四聖の後、聞仲の命令をきかずに金ごう島から出てくる魔家四将は、「体がいう事をきかない」紂王に代わって出撃するように描かれている。魔家四将は通天教主の命を受けている、と説明されるが、後に通天教主は抜け殻になっていて、「聞仲に全権を与える」とだけしか言えなくなっているという描写が出てくる。一体魔家四将は、本当は誰の命を受けてやって来たのか、表向きはわからないのである。後に出てくる金ごう島の十天君もそのように、通天教主からも聞仲からも独立して動くように描かれており、これは父王や師・聞仲から自由に動き敵を倒したいという、紂王の欲求のベクトルを表した動きなのである。
この、魔家四将の中の魔礼青は、特にカッコヨク描かれているので、このキャラがイコール紂王の分身であると書くと、他のキャラのファンからお叱りを受けるであろうが、他の魔礼海の宝貝・黒琵琶は、「王貴人」の原型・石琵琶を想起させるばかりか、藤崎氏は、この黒琵琶の攻撃を受ける雷震子とまったく同じコマの展開を、後に紂王で描いている。(第17巻)これは四聖を紂王が殺す場面で出てくるのだが、何故この二つのエピソードで同じようなカットを採用したのか考えるに、「琵琶」というもの、そしてまた「王」というものをつないだ連環の輪から生み出されたものととしか思えないのである。この、「琵琶」という小道具は、伯邑考の奏でる「琴」に対比している。かの「源氏物語」の女楽のくだりで、それぞれの女人にさまざまな楽器を持たせて演奏させる場面が出てくるが、紂王を表す楽器はこの場合、「琵琶」なのである。琵琶というと、「平家物語」を琵琶で弾き語りをする事などを見ても、優雅な琴に比べるとずっと男性的論理に近い楽器と言えるかも知れない。
このような、敵対するキャラにのみ紂王の影が見えるのではない。実は、太公望に近しいキャラにも紂王の影はある。先ほど述べた、紂王と交替するように登場する燃燈道人は、かつて十二仙を除名されたのであるが、その穴を埋めたのは、普賢真人であった。普賢は太公望と最も友愛的関係を結ぶキャラであり、その性格も大変におとなしく、戦いを好まない。そのまま行ったらただの美少年キャラで終わるところだが、作者はこの普賢に、聞仲と対話する場面を長く演出し、聞仲を自爆で殺そうとして失敗するという展開を与える。普賢は、キャラデザイン的に見て、後ろにつけた長い布のデザインが、「王氏」である時の妲己の羽のデザインと酷似している。(本当は「王氏」という名前ではないのだが、様々な妲己を区別する上でそう表記させてもらっている。)それは偶然に似ているのではなく、普賢と聞仲の戦いのさなかに、作者は唐突に「エステ」に励む「狐」の妲己を登場させている。これはそのままとれば、ギャグなのだろうが、さらに「憑依」しないと聞仲に負けてしまう、「狐」の妲己＝普賢の状態を表しているのである。聞仲というのは、それぐらい強大な、抑圧者なのである。
さらに、普賢の死後、交替して現れる美少年キャラの太上老君は、太公望に対しては普賢と逆の冷たい態度しかとらないのだが、太公望の味方になる、未分化な少年キャラとしてあげられる人物である。太上もまた普賢と同じく、戦いは何も生み出さず、その上、王を倒してもその後にまた違う王が出てきて同じことを繰り返すであろう、と説く。この無常観は、世捨て人のものだけにのみならずく、王の諦観ともそのまま読める。太上は後に、紂王の死後、自分の見ていた夢が消えたと言う。これは、太上の理想が消えたことを暗に意味している。これらの未分化な少年キャラは、カムパネルラたる紂王の本質を分け与えられたキャラクターなのである。
4.太公望と紂王
さて、太公望について重要な事柄を述べてみたいと思う。聞仲の過去話(第6巻)に出てくる、聞仲の淡い恋の対象になっている「朱氏」だが、このキャラクターは、実はほとんど太公望と瓜二つである。顔だけのみならず、着ている服装まで太公望のものをリデザインしたようなカンジだ。朱氏は王妃となるが、羌族に殺されてしまう。それから聞仲は、羌族などの殷への外圧を憎むようになった、という物語が展開されるのだが、この話は一読して、おかしな印象を与える。太公望が殷の王妃となり味方の羌族に殺されて、それを悲しむ聞仲というように見えるからだ。この゜朱氏」も藤崎氏の創造したキャラであるが、不思議なことに聞仲は、この「朱氏」のことを次第に忘れていく。第17巻で、聞仲は自分は飛虎のいた頃の殷に戻りたかったのだ、と独白する。しかし、物語として見た場合、聞仲が最も懐かしむ時代の殷は、朱氏のいた頃の殷でなければならないはずだ。聞仲の最後は飛虎との関係の物語に終始し、朱氏との物語は置き去りにされる。
同様の事例は紂王側にもある。太公望のフィアンセを名乗る、雲しょう三姉妹の長女のビーナスの顔は、ゴリラそっくりなのだが、紂王は対太公望戦のさなかに、なぜかこのビーナスとそっくりの顔になり、巨大なゴリラとなって、民を踏み潰してしまう。その時、太公望は、それまで傍観者であったのに、「見えなかったのか、おぬしの民の姿が・・・・!」と紂王に向かって叫ぶのだ。さらに、一巻の太公望のセリフ「万歳、万歳、万々歳」は、原作では妲己が紂王に言うセリフである。
藤崎氏は、この紂王と太公望の関係に淡い友愛的雰囲気を用いていて、それが太公望そっくりの朱氏が殷の王妃であったり、紂王の変化した姿がビーナスであったりするのである。彼ら二人は、物語の中で、「民のため」という理想に向かってまい進していくが、途中で紂王は脱落する。太公望が、その魂に会うことができるのは、封神魔列車に乗るときのみだ。いや、それは会うことができないものなのかも知れない。そう、藤崎氏は暗示するように、二回目に天上をかいま見たとき、聞仲の横に黄飛虎の姿を描かない。それは、太公望が自分の分身につれられて歩いたときのものと、対照的であり、そこには「孤独」がある。このときの封神魔列車には、やはりゴリラの顔が描かれている。太公望は永遠の少年であるから、親の抑圧や自分の権利を脅かす者との骨肉の争いや、自分を受け入れてくれる他者との存在に、紂王のように傷つくことはない。望めば死者とまた会えると信じている。太公望は明るい未来を信じている。しかし、物語の波乱はなくてはならず、それはこの場合、紂王が担っているのだ。
紂王は太公望を、このようなこの世の泥沼から救ったのであり、この太公望の素朴な信じる心が、マンガ「封神演義」を原作を離れて、明るくすばらしいものにしているのである。
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